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2023年02月04日19:16

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思い出たどり 10 生家

生まれてから小学校1年の夏までは、鎌倉に住んでいました。鎌倉駅から1Km、海までも1Kmくらいの横須賀線線路から細い道路を挟んでのところ(青い○)。線路の土手には秋になると彼岸花が満開で綺麗だったなー。
ここはバス路線もなく、お出かけするときは鎌倉駅まで徒歩です。

幼稚園は送迎バスに乗って海傍にあるお寺付属の幼稚園へ。
小学校は1Km弱のところに有るのでこれも徒歩。

遊び場はすぐ傍に有るお寺の境内と、小学校への途中に有る川でした。
境内では虫を採ったり木登りしたり、川では魚を追っかけて遊んでましたね。

買い物は緑の■あたりに個人商店が集まってたので、買い物籠ぶら下げて野菜やら、一升瓶ぶらさげてお酒やらを買いに行ってました。

魚は漁港からの移動販売軽トラがくるのでそこで購入。合図の音がすると鍋を抱えて買いに行きました。

夏は材木座海岸まで、小町大路という道をやっぱ歩いていって海水浴。今は高級品になってしまっているワタリガニやら紫ウニやらがうようよ居ました。その途中には母方の兄弟が住んでいたので寄り道したりも。

確か先祖代々のお墓も、鎌倉駅へ向かう途中のお寺に有ったはず。

初詣は鎌倉駅の北に有る鶴岡八幡宮。駅前から続く道に出店が並び、綿飴なんかを買ってもらって食ってました。
夏休みには八幡の裏山の山道歩いて小冒険なんかも。

遊ぶためにはとにかく歩かないといけなかったけど、山も海も川も全部有ったから、最高なガキんちょ時代を送れました。^^v


家は借家で、今で言う2K(風呂なし)。
水道はなく、お隣の父の兄の家と共用の井戸ですべてをまかなってました。夏場は冷蔵庫代わりにもなった手漕ぎポンプ式の井戸でした。

ガスはもちろんプロパン。電気はきているけどTVは、東京オリンピックを機にやっと導入されました。その後はひょっこりを見るために急いで帰ってきてたっけ。

風呂が有るのは隣のおじさん家で、薪で風呂を沸かすのは幼稚園児だった俺の仕事。薪割りはさすがにやらなかったけど、薪積んで新聞紙とマッチで火をつけるところから。
オヤジやらおじさんやらが入っているときは焚口で待機して ぬるいぞー! と聞こえたら追い火。
あ!風呂釜は五右衛門だったのかどーかは忘れました。

もひとつ、あ! 隣とタイミングが合わないと家族みんなで歩いて銭湯へ通ってました。
夏場は井戸水で行水。親が手漕ぎポンプで水をジャバジャバかけてくれるのが楽しかった。排水口を塞いで小さな小さなプールにして遊んでもいました。泥だらけになって帰ってくると、家に入る前にここで体の洗濯。

衣類の洗濯はこの井戸の水受けで、洗濯板使って母がやってました。時々踏み洗いをお手伝い。

厠(トイレ)の便器は青い模様の入った長方形な陶器。もちろんボットン。
明かりは今で言う常夜灯の豆球のみで、便器の位置がかろうじてわかる程度の明るさ。電気を点けて入ると床や壁をなんかの虫がゴソゴソと動いてましたね。手洗いは縁側の外に吊るしてあるおちょうずで。

この縁側で、夏には親子4人並んで花火をしたりしてたっけ。
豚さん器に入った蚊取り線香と共に。
で、その後は、当時は網戸なんて無かったから、天井から吊るした蚊帳の中で親子4人川の字。

そんなガキの頃を思い出して書きました。
書いてると あ!そうだった!! あ!こんな事も有ったな!! と次々思い出してきて、面白かったです。
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