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2023年01月21日16:30

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万年時計

国立博物館に展示されている「万年時計」を万国博に展示するため復元するプロジェクトをテレビでやっていた。
番組ではまず博物館から千葉のセイコーの研究所?へ移送するところから始まった。

「万年時計」とは江戸時代末期に田中久重が作り上げたものである。
西洋時計や和時計、曜日、太陽や月の位置、夏至や冬至、春分秋分の時の高度、などがわかるようになっており、しかも一度ゼンマイをまくと1年間動くというとてつもない時計である。
しかし設計図は残ってない。
しかし残された彼の日記にはたくさんの思考のあとが残されている。
田中久重とは現在の久留米市の生まれで、からくり人形師で茶運び人形や弓曳童子が有名である。”からくり義衛門”とよばれていた。

セイコーで「万年時計」を解体していくと大量の歯車が複雑に絡み合った内容が出てくる。しかし解体している技術者たちもそれらの歯車がどう動くか解読できない。
それらのパーツを1点1点顕微鏡で観察してコンピュータで図面に起こしながらコンピュータシミュレーションで動作を再現する。
それらは驚嘆するものばかりだ。たとえば半分しか歯が無い歯車や途中の歯が”U”の字構造の歯車があるが見ただけではどのように動くのかわからない。シミュレーションで入力軸が1方向に回転するが出力軸は回転の途中で逆回転に変わり、しばらく回転すると元の回転に戻る構造になっているものなどが組み合わされている。

田中久重は40歳を過ぎて天文方に弟子入りし天体の動きなどを研究する。
「万年時計」の一番上には日本地図がしつらえてあり、その上を月と太陽が回転するようになっており季節と時刻によって位置と高度が変わるようになっている。それが実際の動きと符合するようになっている。
湾曲した歯車などが組み合わせてあり、それで太陽と月の動きを再現している。

一番下に動力源であるゼンマイがある。見たところ巾10cm足らずで厚みか2mm、長さ3m以上のものが巻かれている。このゼンマイも金属材料を分析し、ある金属メーカーに全く同じ材質のものを作ってもらう。その板をゼンマイメーカーに持ち込んで加工してもらおうとするが加工できる機械が無いので加工機械を制作して丸め加工する。
田中久家はこのゼンマイを刀鍛冶に作らせたらしい。
ゼンマイはほどけ具合によって回転スピードが変わるが、それをサザエ車と言われる構造を使い始めから終わりまで一定スピードになるような仕組みになっている。
そのようなゼンマイを2個使い、一つは西洋時計や和時計などを動かし、もう一つは鐘を鳴らし曜日などの動力としている。2つの動力は完全にシンクロするような構造になっている。
すべての歯車をやすりで削りだして作るという超職人技の持ちぬしでもあった。

外装は豪華な螺鈿や蒔絵で作られており、これらもその道の職人たちが実物を忠実に再現していた。

精密工作機械を使ってすべてのパーツを忠実に再現して組み立てたものをモーターを使って早回しテストしたら途中で引っかかってしまうところがあり、結局職人が特殊なやすりで歯車のすり合わせを行って全体が動き出したときは関わった100人以上の技術者や職人たちから歓声が上がった。

田中久重は鍋島藩に招聘され、ペリーが日本に来た時蒸気機関車の模型を幕府に献上したのを見て蒸気機関車を作り、日本で最初の蒸気船も作る。大砲や工作機械など様々なものも作る。
彼が銀座に作った工場はその後の東芝の礎となる。

彼はからくり人形師と言われたが調べてみると当時ほかにもからくり人形師はたくさんいた。
彼は稀代の発明家だが当時の日本にはそれを支える職人たちがいたということでもある。

「万年時計」から見えてくるものは現代の精密工作機械も及ばぬ制作技術とコンピュータにも匹敵する思考力である。

番組では最後に彼の言葉を1つ紹介していた。
 ”知識は失敗より学ぶ。事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就があるのである”


東芝未来館の万年時計のページ
 https://toshiba-mirai-kagakukan.jp/history/toshiba_history/clock.htm

田中久重の生涯と発明品
https://toshiba-mirai-kagakukan.jp/history/toshiba_history/hisashige.htm



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