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2022年11月13日03:52

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僕にはこどもがいないけれど

僕にはこどもがいないけれど


僕にはこどもがいないけれど
こどもの遊び相手になって、
貴重な一日を無駄に過ごすというのは
ひとにとって、とても尊いことだと思うのです
何故? 理由なんかありません
何もかもを理由づける考え方はやめました
少しぐらい自分が傘から食みでても
こどもが冷たい雨にぬれないように護ってやる
こどもが目の前の川で溺れているのなら
命がけで飛び込んででもこどもを救おうとする
たとえ仮に間違ったことであっても
それが親というものだと僕は思う
こどもの生活を少しでもいいものにしてやりたい
少しでもおいしく、健康にいいものを食べさせてやれたら
いい服を着せてやれたら
そのためにひとは死にもの狂いになって働く
何故ひとが軀をこわすほどに働くのか
すべての答えはそこにあります
いつか、ひとが子離れするときは
こどもが親離れできるようになった時なのだから
ひとにはこどもの未来の扉をみつめ
扉を開かせる助言をしてほしい
この子の明るい未来に立ちはだかる閉ざされた扉に
自分がなってはいけない
何故ならこどもには無限の可能性があるのだから
可能性の芽をつぶすひとになってはいけない
未来への扉をこどもが開くとき
そのときはこどもの背中を押してやれる親であるように
こどもの未来を見守ってやれるように
僕にはこどもがいないけれど、そう思うのです。


指田悠志
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