第12週「あなたのおかげで」観測史上初。東北地方の太平洋側から台風が上陸しそうな雲行きになってきた。ふるさとを守りたい。モネの想いはそのことばかりだった。龍己に電話するモネ。下宿の主のお爺ちゃんがおばあちゃんと熱中症に。たまたまコインランドリ
制作統括:吉永証・須崎岳。毎週、密度の濃いストーリィで、深く考えさせられる週も多く、見応えのあるドラマだった。脚本・安達奈緒子。「透明なゆりかご」を書いたひとだ。後半は内省的な話も多く、やはりそこは東日本大震災のかげりに包まれ、重苦しさを感
少年・お馬鹿物質頭が悪い子だったというより学校の成績は悪いが冴えた男の子だった彼のセンサーは〈愛〉のみによって働いた愛のセンサーが冴えた子だった日向はあったかくてうれしかったしちょうちょもいたし猫もいた月が綺麗で よかったねというお馬鹿物質
えんぴつ・消しゴムのうたえんぴつがつくられたから消しゴムをつくったんだ と消しゴム会社の社長が言ったえんぴつがつづったものを消しゴムに消されてしまった とえんぴつ会社の社長が嘆いたえんぴつがつづったものを消しゴムで消さずにおいたらえらいひと
ぼくのからだはくさいぼくの からだは くさいぼくのからだは におうぼくのからだは みにくいぼくは みにくいぼくのこころは やんでいるぼくの こころは くさいきょうは びょういんへ ゆく日だったびょういんで くさいからだをにおわせぼくはじゅん
おなじだぼくは 人間で人間のからだで できているそういうところは きみと同じだ人間でないものもぼくの〈からだ〉のなかにはあるがそんなちいさなものに影響されながら ぼくは人間として 生きている同じように木は どこまでも木でできているそういうと
罪ぼくを 愛してくれたねこをぼくは知っているけれども ぼくを愛してくれた ねこはいまはもう この世にいないかれらはこどもが親を愛するようにぼくを必要とし 愛してくれたそのことを いま 思うと申し訳なくて 涙がでるぼくの過失のために 死なせて
あいしてくださいいえす・きりすと はこいを せずひとびとをあいしたというぼくは きりすとにはあいされないぼくのあいするのはおんなでありきりすとじゃないたとえ くりすますが きてもぼくは きりすとをあいせないぼくは おんなをあいするひとりの
じかん一日を定めたから一月(ひとつき)が できた一月が定まったから一年も できあがった一年が定まったから一生が 見えてきたでも、一日が定まったなら一時間を つくらなくても いいのに一時間が定まったなら一分を つくらなくても いいのに一分が定ま
林檎とは血のようなものであり涙なのだぼくのいのちのおもみほどのものがぼくのまえに稔りとしてそこに在ることを想う誰を愛していても果汁のように妙なるものとなって瞳をあふれるものとして在ることを 想う誰のためでもなく強いて流した血でもなくぼくのい
夢蜘蛛の囲に かかった 蜘蛛がひらがなの 雲 になり母となって あらわれた母が死んだ日の ゆうやけ雲いちにちが 確実に終わってゆく心細い 風の土曜日ぼくは足を閉ざし 立ちつくした誰かが 星となって見下ろしている かなしい夜空に母のことを思う
「ぞうさん」をうたったひとまど・みちおさんの書いた「ぞうさん」のうたはお鼻が長いと馬鹿にする卑しい人たちにそうですよ お母さんに似たんです大好きなお母さんに と言っているのです親から子へ連綿とつながってゆく遺伝的資質その尊さを詠っている何が
スタンリー・キューブリックは、いつも絶賛に値する作品を作りつづけてきたが、きょうは少し批判的なことを書かせていただく。「シャイニング」はスティーブン・キング原作の、スタンリー・キューブリック唯一のホラー映画である。正直に言わせてもらうとぼく
アンヌのうたアンヌがいまは亡き東京の街角に佇っている円谷英二の創った世界に生きるアンヌはひとりの女性としてキュービズム ポップアート ヌーヴェル・ヴァーグ暗殺 革命 戦争凄絶な時代を生きたのだアンヌ 翔ぶぼくの人生でいちばん最初に恋した偶像
ストーカー行為、83歳を逮捕https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6733931僕の身辺にもこういう爺さんがいました。行きつけの居酒屋に通い詰め、他に客がいないときは機嫌よく飲んでいるのですが、それも独りで飲んでいる間だけ。別の