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2022年10月10日22:44

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宗教遺産テクスト学の創成 勉誠出版 2022年03月31日

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p.155
つまり潜在的に八万もの威儀が十重戒に収まっていくという解釈があったことをうかがわせる内容となっているといえるだろう。
…同経には「十無尽戒」「菩薩十重八万威儀戒」(いずれも大正二四・一〇二一中)という名称も出ており、摂律儀戒とされる十重に八万威儀ならびにさまざまの戒が収められることが示唆されているととらえることができる。
p.268
この『観無量寿経』にもとづく阿弥陀信仰という幹は、奈良時代の阿弥陀信仰を追善・呪術的とし、平安時代の阿弥陀信仰とは異質とみなす井上光貞氏の「浄土教」理論によって、覆い隠されてきたのである。『観無量寿経』に説かれる観相念仏そして臨終における十念は、良源『九品往生義』や源信『往生要集』に取り込まれ、平安時代の阿弥陀信仰の基幹をなしていたことを認めなければならない。
p.311
すなわち、京都・教王護国寺兜跋毘沙門天立像と教徒・清凉寺釈迦如来立像の用材がかつて報告されていた「魏氏桜梅」なる樹種木材ではなく、日本には産出しないクスノキ科の樹種木材であることが明らかにされたのである。
…ところが、この語感自体は全くの誤解であって「魏氏桜梅」とは「Prunus Wilsonii koehne」なる学名の漢訳でしかなかった。中国語で「魏」は「wei」と発音され、魏氏とはウィルソン氏の音訳の略称で、三国志の魏や雲崗石窟を開削した北魏とは何の関係も持たない。この学名は「ウィルソン氏が発見しケーネ博士が登録したサクラの仲間」ほどの意味で、分類上は中国原産のバラ科植物で実のなるサクラやスモモの仲間ということらしい。
p.341
 『往生要集』における阿修羅道の記述の短さからは、源信がこの世界にさほどの関心を抱いていなかったこと、ひいては本書が成立した平安中期の日本で、阿修羅道についての認識がまだ深まっていなかったことがうかがわれる。その理由について、筆者はかつて、仏典に説く阿修羅道の定義が曖昧で、その多義性ゆえに、後世主流となる「闘う阿修羅」のイメージが『往生要集』成立時期には定着していなかった可能性に言及した(6)。
 仏典において、阿修羅はしばしば天道や畜生道、そして鬼神道に包含される形で登場する。…
 このような阿修羅の定義の曖昧さについて、詳しい議論を展開するのが龍樹による『大智度論』である。…
 その巻第三十において、阿修羅は、音楽の神である甄陀羅(緊那羅)や乾沓婆(乾闥婆)、増長天の眷属である鳩槃茶、さらに夜叉、羅刹、浮陀(富単那、臭い鬼という意味)などと同族として位置づけられている(7)。…『大智度論』ではこのような阿修羅の二面性について説くとともに、次のような記述で、その性格の複雑さを論じている。
p.342
引用箇所では、天に匹敵する力を持ち仏弟子になることもできる阿修羅であるので、これを餓鬼と同一視することはできないという結論が示されている。ただし、『大智度論』卷第十では、釈迦十大弟子のひとり迦旃延子の説として阿修羅を鬼神道に含む五道説にも言及している[大正蔵二五、一三五bc]。
p.343
 画面向かって左上方に、ひときわ大きく、左手で太陽を遮る姿で描かれているのが羅睺阿修羅王である。『正法念処経』では阿修羅世界の第一層と二層を治める最も中心的な阿修羅王として登場する。巨大な体を持ち、諸天との交戦に際しては、日光を手で遮り天衆の姿を見易くする力を有していることが説かれている[大正蔵一七、一一七c]。
 その前方で弓を引く姿で描かれているのは、阿修羅世界第四層に住む鉢呵娑阿修羅王である。
p.344
 下方から剣と弓で帝釈天軍を攻撃するのが花鬘阿修羅王である。…画中でこれを花鬘阿修羅王と見なす指標はないものの、後述する画面最下部に描かれるのが勇健阿修羅王と特定できるので、このように解釈することができる。…
p.346
平安末期の段階における阿修羅道理解の一端を、ここからうかがい知ることができる。阿修羅とは、第一義的にはねたみに苦しむ存在として理解されていたのである。
p.347
 以上のように、中世軍記において戦をめぐるレトリックの定番として阿修羅道が頻繁に用いられていることは、聖衆来迎寺本をはじめとして鎌倉時代に制作された六道絵諸作例において、阿修羅道を「帝釈天との闘い」場面に特化して描く現象と軌を一にする(11)。
p.349
しかしながら、「戦闘の苦しみ」を象徴する存在として阿修羅道を理解しようとする同時代の文学的潮流をも踏まえて両者を対置するならば、目の前の「阿修羅道幅」を見ながら現実の戦を想起すること、また逆に現実に体験した戦の苦しみを梃子に六道輪廻のさらなる苦しみに想いをいたすこと、このような構想を六道絵とこれを用いた唱導の場に想定することは十分可能である。
p.352
特に『正法念処経』に基づく羅睺阿修羅・陀摩睺阿修羅・華鬘阿修羅・鉢呵娑阿修羅については、各々の阿修羅に生まれる因を説くなど一段と詳しい。
p.380
彼らの遺体には「神からもたらされる特別な力(ウィルトゥスvirtus)」が宿り、かつその力は聖人の生前死後を問わず身体に宿り、またどんなに細かく分割されたとしてもどの部位にも遍く残存し、そこから放射されるとされ、個人は個々の力ではなく、この神の力を地上で行使するためのメディア(媒体)であり、信徒にとっては通常は隔絶された天上との交信の場たりえた。
p.381
十二世紀にコンスタンティノポリスを訪れたギリシア人商人による記録には、そうしたモノとして、荊冠や聖十字架とその銘板、釘、槍、海綿と竿、鞭等の受難具に加えて、サンダルや衣ならびに帯、弟子の足を洗った際の盥やタオル、屍衣、遺体頭部を載せた石の枕、キリストの顔が写った布(マンディリオン)や陶板(ケラミディオン)、アブガル王に宛てた自筆書簡等が言及されている。
p.384
かつては、実体変化した聖体と聖血の両方を信徒が拝領する、いわゆる「両形色(態)拝領(二種陪餐)」という形式が一般的であり、とりわけ聖血については液体故に、聖杯を回し飲みすると、こぼれたり、飛び散ったりしやすく、典礼用ストロー(図3の手前)が使われるようになる。
p.444
聖なる存在との接触から奇跡的に生成したり、神意により完成される、いわゆるギリシア語で「アケイロポイエトス(人の手によらない)」と呼ばれる聖像はまさにこのカテゴリーに属する。キリストの顔を拭いた布にその痕跡から生成した聖顔布たる東方ビザンツ帝国のマンディリオン(図2)やローマのウェロニカ、あるいは福音書記者聖ルカが描いたとされる聖母子像など、枚挙に暇がない。
p.465
(25) 水野千依「Theoriaへの「道」と鳥瞰的風景(kataskopos)――サン=ヴィクトルのフーゴーからオピキヌスへ」(辻成史編『はるかなる時(仮題)』三元社、二〇二二年刊行予定)。
p.514
難民としてリビアに暮らしリビア外国人部隊に在籍していた独立派のトゥアレグの人びとが、政権崩壊の混乱の中で武器を携えてマリやニジェールに帰還し、武力による独立運動が再燃したのだ。
p.515
MNLAはその日のうちにトンブクトゥ制圧を表明し、四月六日にはマリ北部の三県(キダル、ガオ、トンブクトゥ)からなる「アザワド国家」の独立を宣言した。しかしその直後から、北部三県の独立のみを要求するMNLAと、マリ全土を曲解したシャリーア(イスラーム法)にもとづいて統治することを目指すAQIMらテロ組織の方向性が対立し始めた。MNSLの独立運動がテロ組織になかば乗っ取られる形で支配が進行し、トンブクトゥ制圧から二か月後の二〇一二年六月には、AQIMとアンサル・ディーンによってマリ北部のシャリーアによる統治が布告された[Tchioffo 2051]。
p.520
「われわれ」には理解しにくいかたちで、事物や現象はそれ自身であるとともに他のものでもありうる。また「未開人」は生き物や物にも神秘的力が備わっているとあらかじめ見なしており、日常での体験がそれを左右することはない。レヴィ-ブリュールは、これを「経験の不浸透」と呼んでいる(6)。こうした特質は個人の心理によるものではなく、社会の集合表象がその成員である「未開人」一人一人の思考様式や知覚・感情の発露に一定の枠組みを与えていることによる。「未開人」が従うことになる表象の基準をレヴィ-ブリュールは「前論理的」と名付けた。
p.521
矛盾律に無関心でありこれを避けるように強制されていないからである。またそれ自身であるものが同時に他のものでもあるという基準を神秘的「融即の法則」と名付けた。
p.524
スーダン人、より具体的にはディンカ人は、決して人間と動物を混同したりはしない。彼らは、動物の性質と、人間の性質が同じ一つの生き物に共存することもありうるということを考えているようだ。
…現実を納得いくよう表現する際、論理的思考が唯一の方法ではなく、瞑想や想像力による思考にもしかるべき場があるということを認めなくてはならないのである。

 ディンカは男系出自集団(クラン)に分かれているが、それぞれの集団には守護霊とも呼べるクラン神霊がいて、神霊はほぼつねに実体――動植物、時にはほうき、頭上運搬用の輪などの人工物――を伴った形で表される。
p.525
リーンハートはそれらの形を象徴物(emblem)と呼んでいるが、ライオンへの変身が言及されるのは、パジエンというクランが黒コブラをクラン神霊としてどのようにして手に入れたかという神話を紹介する際である(20)。
p.532
槍の神話において黒コブラの女がパジエンクランの成員にとって女祖先として観念的にせよ系譜上繋がっているように、「字義通りの言葉と比喩的な言葉の区別がしばしば不可能」で、「事実か比喩かどちらか一方の形で言うことができ」なくなっており、換喩的関係として神霊―象徴物―人間が連続することを受け入れている世界観においては、人間と一部の動物の間に絶対的な隔たりがいつも設定されてはおらず人間の身近に(空間的にも隣接して)動物が存在するのであれば、ある人間はライオンに変身するとか、ライオンが人間の姿をしているという言説は、さほど奇矯で突飛なこととは映らない(43)。連続している存在の特性が付与されることはおかしなことではないのだ。マンダリの言説と同じかは定かではないが、社会的領域と自然領域を連結するライオン人間の言説は、ディンカの宗教的指導者である簎矠の主(master of fishing spear)らとは別に、普通の人を越える力を持つ可能性を備えた人間が何らかの状況下においていることを、示唆するのである(44)。
p.533
一方変身者と呼ばれる者(shapesifters, yelamafentiginu)がいて、彼らは妖術師とは別の存在である。妖術師は普通女性であり、彼女らは暗闇や悪意と結びつく動物に変身するが、変身者は男性のみである。
p.537
またジョンというクランコの若者がアメリカの宣教師とともに狩りに出かけた時、宣教師の犬が川でワニに捕まり、宣教師が川に潜って助けたというエピソードをジャクソンに話したとき、宣教師が変身したと信じているジョンは、変身に懐疑的で「姿形を変えられるヨーロッパ人を私は知らない」と言ったジャクソンに、「でもヨーロッパ人は飛行機(機械)に変身するじゃないか」と言った(54)。
p.550
しかし、それとともに理解すべきは、これらの知識や技術が盛んに「売買」されるものであるということと、そして何よりもこの「売買」の過程、とくに「飲み食い」の実践とその共同性ことが特に重視されているということだったのである。
p.564
本校を含む多くの大学の考古学実修において、学生のトレーニングとしていまでも「現状ではすでにその役割を終えつつある」([文化庁文化財記念物課 二〇一六]『定本 発掘調査のてびき』)とされる、精度に問題のある平板測量を実施しているのは、計測点の取り方が重要であることを、簡便でしかも即座に図面として視覚的に認識できることによる。
p.614
 このような実際の対応状況から分かるように、実測図が認識を反映した図面というのは研究レベルでの要請であり、報告書作成をはじめとする業務レベルでは、むしろ問題とならない水準の正確性を持った実測図を作成することが重要となってくる。


■仏像「如来」は偏平足、腕が膝まで届く、歯が40本…悟った人たちの特徴「三十二相」とは?
(AERA dot. - 09月23日 17:00)
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 お寺や博物館で出会ったことのある仏像。如来、菩薩、明王、天部……それぞれの姿かたちが伝える仏像のメッセージを学べば、仏像の味わい方もきっと変わってくるはず。週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 23 仏像と古寺を愉しむ』では、正しい仏像の見方を特集。ここでは「如来」をひもとく。
*  *  *


 人に歴史があるように、仏像にも歴史がある。1体の仏像から、多くの情報が読み取れれば、これまで仏像と向き合った時とは違う感動が得られる。これを読んで、お寺や博物館に行けば、きっとこれまでの何倍もの楽しみ方が身に付くはず。そんな仏像鑑賞法をご紹介する。


 仏像は、仏教が誕生してすぐに作られたわけではない。今から約2500年前のインドで、ゴータマ・シダールタという一国の王子が出家し、6年間修行して悟りを得た。その時の悟りを人々に説いて、共感した者が集まり、仏教が成立する。悟った人をブッダといい、目覚めた人という意味だ。一般には釈迦といわれる。仏教が広がり、仏教の信仰が盛んになった。しかし、釈迦も生身の人間なので当然亡くなる。これを涅槃といい、深い悟りという意味だ。その後、すぐに仏像が作られたわけではない。崇拝した人の姿をかたちにすることを畏怖したと考えられる。それから、約500年後にようやく仏像が誕生した。


 ところで仏像は何体あるのか。経典の中で仏像の数を数えると、おおよそ3000体といわれる。これには理由があり、仏教では三世という考え方がある。つまり、過去、現在、未来という時間の観念だ。この三世に各々1000体の仏像がいるとされる。しかし、それを全て覚える必要はない。


 仏像と向き合って、まず確認したいのが仏像の種類。数千体もある仏像だが、種類はたったの4つ。「如来」、「菩薩」、「明王」、「天」である 仏像を見て、装飾品を身に着けず、衣だけの素朴な姿をしていたら如来といえる。これは悟った姿なので欲がないためシンプルな表現というわけだ。次に冠をかぶったり、装飾品を身に着けていたら菩薩、これは現在修行している姿を表現し、一般的には釈迦が王子だった時の姿をイメージして作られている。



 そして、お寺に行って怖い顔をした仏像に出会ったことがあるだろう。これは明王といわれる仏像。本来の姿は如来だ。悟った姿、優しい表情で人々を導こうとしても、説法を聞かない人がいる。その人たちのために、あえて怖い顔をして導いてくれている姿だ。つまり慈悲の怖さということになる。


 こうした仏像の世界を護る者の姿が、天といわれる仏像だ。天は、四天王のように甲冑をつけている姿もあれば、弁財天や吉祥天のように穏やかな姿もある。見分け方としては、如来と菩薩、明王の姿以外は天であると推測してみよう。この4種類を確認できれば、仏像鑑賞のパスポートを手に入れたも同然だ。



■「如来」悟りを開いた釈迦の姿をモデルとする


 如来は、修行して悟った人の姿。煩悩が消滅しているので、物質的なものに執着していない。そのため仏像の中で最もシンプルな姿をしている。


 インドでは、如来の衣(正確には袈裟)の着方が二つある。一つは「偏袒右肩」、これは衣を斜めに着て右肩を露出する着方だ。もう一つは両肩を覆うように着る「通肩」といわれるもの。この二つの着衣法でインドの仏像が制作された。そして仏像が中国に伝来した際、中国式(漢民族式)の衣の着方が成立する。この衣の着方は、当時の中国の貴族たちの服装だ。目印は、みぞおちにある結び紐。この結び紐があれば、中国で成立した仏像の着衣法だと判断できる。日本には、この三つの着衣法が伝来した。


 なお、インドの人たちは、悟った人は、普通の人とは違った身体的な特徴があると考えていた。それが「三十二相」というもの。具体的には、足は偏平足、腕が膝まで届く、顔を覆うほどの舌がある、歯が40本ある、眉間に白毫がある、身体から光が出ているなど。如来が金色で彩色されているのも三十二相の中に、悟った人は金色に輝いているという記載があるからだ。中には、何を食べてもおいしく感じる、声が綺麗で遠くまで聞こえるなど表現しにくいものもある。表現可能な特徴をもって、如来を表現していることが理解できる。



 如来は、どれもシンプルな姿なので見分け方が難しいが、ポイントを見れば、推測することはできる。例えば、手のかたち、印相という表現だ。釈迦如来の印相には、右腕を上げる施無畏印と、左腕を下げる与願印がある。また、坐禅する時の手を表わすこともあり、禅定印とか法界定印という。阿弥陀如来も似ている印相があるが、阿弥陀如来の場合は、指を付けて手を結んでいる。これが釈迦と阿弥陀の違いである。


 薬師如来は、薬壺を持っているイメージがあるが、飛鳥・白鳳時代の薬師如来は、薬壺を持ってない。薬壺をもつ薬師如来が出てくるのは奈良末期になってからだ。


 また大日如来の場合、如来像なのに宝冠をかぶり、胸飾りまでつけている。大日如来は、宇宙そのものとされ、如来の中でも特別な存在「如来の中の如来」なので、荘厳された菩薩像姿として表現する。密教の二つの世界(金剛界・胎蔵界)の大日如来の違いは、印相で見分けることができる。 ちなみに東大寺の本尊、奈良の大仏は廬舎那仏という如来である。これは『華厳経』で説かれる如来、華厳世界の教主、広大な宇宙観そのものの姿といわれる。実は、密教の大日如来と廬舎那仏は、原語は同じバイローチャナで、「光り輝くもの」という意味である。経典の違いによって名称が変わった。


◎監修・文/村松哲文
むらまつ てつふみ/1967年東京都生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学後、早稲田大学會津八一記念博物館を経て、駒澤大学仏教学部教授。早稲田大学エクステンションセンターや、NHK・Eテレの仏像番組の講師も務める。主な著書に、『アイドルと巡る仏像の世界(共著)』(NHK出版)、『駒澤大学仏教学部教授が語る 仏像鑑賞入門』(集英社新書)ほか。


※週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 23 仏像と古寺を愉しむ』から


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