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2022年07月17日07:30

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それぞれの、八甲田山遭難事件。

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甲田山雪中行軍に参加した弘前歩兵第31聯隊の間山伍長のお孫さん・間山元喜氏(陸自定年退官)が『 八甲田山雪中行軍120年目の真実 』という本を出されたと知り、さっそく読んでみた。ノンフィクション作家・川嶋康男氏との共著だが、文章に癖があって少々読みにくい。どうやら、間山氏が担当した部分ではないかと想像する。プロの作家である川嶋氏が担当したと思われるパートは文章がこなれていて、明瞭。どんどん読み進めることができて、引っかかるところは皆無だが、そうではない部分が多い。「 巧い文章を書こう 」とする意識が勝っているのか、表現が独特な上に重複が多いので時々何行か戻って読み直さないと意味がわからない。文章の末尾にやたら「 ・・・なのである 」が多用されるのも気になる。それでも七転八倒しながら、なんとか終盤まで読み進められたのは、これまで知らなかった情報が多かったからだ。弘前歩兵第31聯隊と青森歩兵第5聯隊の計画準備内容、雪中行軍の具体的な描写、特に興味深かったのは遭難した5聯隊の捜索・救助活動部分だった。5聯隊遭難の報が入ってから、どのように救助隊が送られ、最後のひとりの亡骸が発見させるまでどれほどの時間が必要だったか、映画『 八甲田山 』では描かれなかった部分に惹きこまれた。雪中行軍に成功した31聯隊でさえ、遭難ぎりぎりの際どいものだったということもよく理解できた。31聯隊の雪中行軍隊を嚮導(きょうどう)した現地の案内人たちのその後の人生にも八甲田山雪中行軍が「 暗い影 」を落としたという事実は全く知らなかった。苦労して読んだだけに、新しい情報に触れることができたのは余計嬉しかった。

 『 八甲田山雪中行軍120年目の真実 』があまりに生々しかったので、急に映画『 八甲田山 』が観たくなった。Amazonで4Kリマスター版ブルーレイを見つけ、撮影を担当した木村大作氏がリマスター時の映像監修を務められたと知って、さっそく注文。これがびっくりするほど精緻な映像と美しい色調になっており、感動した。劇場ではもちろん、これまではDVDでも吹雪の中の雪中行軍シーンでは登場人物の顔がよくわからず、個人の識別はほぼ不可能だったのだが、さすが4KリマスターBDは違う。誰が誰だか、主要登場人物は全て識別可能だ。BDの特典映像では4Kリマスター作業の模様が紹介されていて、監修した木村大作氏自身がデジタル加工技術の凄さに驚愕し、感動し、子どものように喜んでいる姿があった。氏の強烈なこだわりによって、通常のリマスター作業期間の倍以上の時間を費やすことになったというのだから、4Kリマスター版BDの素晴らしい画質と色調には納得だ。

 さて、映画『 八甲田山 』である。やはり、脚本を書いた橋本忍は天才だということを痛感した。原作をうまく消化して、映画の尺の中に見事にはめこんだ上に、原作にはない橋本忍オリジナル脚色の数々には唸らせられた。原作の弘前歩兵第31聯隊・徳島大尉よりも映画の徳島大尉(高倉健)には温かみがあり、将校としての決然たる意志と同時に豊かな人間性を感じさせているのは、演じる高倉健のイメージに脚本が寄せたゆえだろう。特に素晴らしいのは、猛吹雪の中、峠越えを嚮導した案内人・さわ(秋吉久美子)とのシーンだ。難所を超え、集落に接近した時点で副官の中尉が「 案内人を最後尾へ移動させます 」と提言すると、高倉健の徳島大尉は「 いや、このままで良い 」とさわを先頭にしたまま、雪中行軍隊は村人たちが日の丸を振って歓迎する中、集落を堂々と通過。村はずれでさわと別れる時は雪中行軍隊を整列させ、「 案内人殿に対し、かしら〜、右!」と感謝の意を表している。原作を読まれた方にはおわかりだろうが、これらは原作にはない、橋本忍脚色である。原作では、集落に接近した時点で徳島大尉がさわに「 案内人は最後尾につけ 」と命じ、さわから「 もう、用はないってわけかね 」とこぼされる。彼女の案内で猛吹雪の峠をからくも超えて来た隊員達はさわの言葉に心打たれた、とある。さらに、雪中行軍隊がさわと別れる描写は原作にはない。さわへの感謝と敬意を描いたのは、軍隊経験者の橋本忍だからこそ書けた名シーンだ。私は映画『 八甲田山 』を観るたびに、このシーンの温かさに目頭が熱くなる。

 もうひとつは、雪の八甲田での再会を誓った5聯隊・神田大尉(北大路欣也)と31聯隊・徳島大尉を見事に対面させたシーンだ。これは橋本忍以外の脚本家では思いもつかなかっただろう。実に映画的であると同時に、冬の八甲田山踏破という難題に、共に行軍隊指揮官として臨まねばならなかった神田大尉と徳島大尉の友情と絆を強烈に伝えるものだった。このシーンのもつ意味については、後述する。

 映画『 八甲田山 』では橋本忍の脚本だけでなく、キャスティングの妙、俳優たちの演技にも目を見張るものがある。正に、名作といって良い。主演の高倉健、北大路欣也は言うに及ばず、師団参謀の大滝秀治、第四旅団長の島田正吾、31聯隊聯隊長の丹波哲郎はじめ、緒形拳、前田吟ら下士官兵卒に至るまで、みな見事という他ない。中でも私が注目するのは、5聯隊第2大隊長を演じた三國連太郎の演技である。小隊編成での実施を進言する神田大尉の雪中行軍計画に茶々を入れて中隊編成にしたばかりか、編成外の大隊本部を随行させ、現地では神田大尉の方針をことごとく否定。5聯隊の雪中行軍隊を破滅の道に導く張本人が三國連太郎演じる山田少佐だ。31聯隊に負けるわけにはいかない、5聯隊は5聯隊らしく独自の雪中行軍をすべきだと強引に押し切る山田少佐はその言動から、権威主義で形式と体面にこだわり、上級者にはへつらい、下級者には尊大不遜な人物であることがわかる。そんな彼の本質を見事に表現しているのが、三國連太郎演じる山田少佐の「 極めて個性的な敬礼 」だ。DVDやBDをお持ちの方は、この山田少佐の敬礼シーンをご覧いただきたい。映画冒頭、聯隊長に続いて営門を通過する時、捧げ筒をする警備兵に馬上から答礼する山田少佐の敬礼は「 個癖 」と呼んで済ますにはいささか抵抗がある。その独特な敬礼所作の中に、彼の尊大さを強く感じてしまう。要するに、かっこつけしいなのだ。第2大隊が雪中行軍隊編成を終え、聯隊長(小林桂樹)の前で将校たちを紹介する時の山田少佐の敬礼も注目に値する。上級者への敬礼はかなり控えめだ。5聯隊の雪中行軍隊が出発し、屯営を出る時、警備兵への敬礼は再び異様な敬礼に戻っている。上級者に対しては「 個性が残ってはいるが控えめな敬礼 」をし、下級者へは「 芝居がかった大仰な答礼 」をする。上級者へも下級者へも区別なく正統的な敬礼をする神田大尉(北大路欣也)の生真面目さとは対照的だ。山田少佐の敬礼が脚本由来のものか、監督の演出か、はたまた三國連太郎のアドリブなのかは判然としないが、軍隊組織を熟知した橋本忍の脚本、もしくは研究熱心で知られる三國の演技プランによるものかも知れない。いずれにしても、山田少佐の「 人間性を具現化したような敬礼 」には、なんとも言えないリアリティを感じる。

 映画『 八甲田山 』を観たら、今度は久々に新田次郎の原作『 八甲田山死の彷徨 』がたまらなく読みたくなり、出張先のホテルで一気に読んでしまった。当たり前のことながら、新田次郎原作は非常にバランスがとれている。無駄のない、映像的な文体が流れるように綴られており、リズムが感じられる。新田次郎があえて詳細を書かなかった部分は『 八甲田山120年目の真実 』を読んだことで補完され、物語の厚み深みがぐっと増す。原作の特筆すべき点は二点。ひとつは、優秀な神田大尉がなぜ、理不尽な山田少佐にどこまでも従順に仕えたのか背景が明らかにされていること。ここは、映画が完全に省略した部分であり、映画での神田大尉がひたすら真面目で優秀な将校であるということ以外、理解のしようがない。原作によると、当時、将校は士族(武士階級)上がりのものが大半を占め、平民出身の将校はかなり珍しかったらしい。神田大尉は平民出身であり、誰よりも熱心で真面目に軍務に当たる一方、士族上がりの将校に対する劣等感を抱いていたようだ。それが、山田少佐の横暴で理不尽な要求にも一切反論することなく、上官の指示・命令に忠実に従おうとする背景になった、と新田次郎は見ている。

 ふたつめは、映画とは異なり、神田大尉は指揮官とは名ばかりで、5聯隊の雪中行軍隊の指揮は途中から完全に山田少佐が奪っていたことだ。しかも、山田少佐は実質的に指揮をとっていながら、将校・下士官を集めて意見を出させ、結局はその場の雰囲気に流されて方針を決したり、寒さと疲労に堪えかねて感情的な命令を発して、雪中行軍隊を迷走に至らしめた。このあたりの状況について、原作は映画よりはるかに詳細に、かつ明快に描く。大隊本部が随行する中隊編成ゆえ、部隊を支えるそり隊と行李隊による物資輸送が必要となった5聯隊雪中行軍隊は最初から準備が不足していた。中隊編成になった時点で、いくら神田大尉が指揮をとっていたとしても八甲田を踏破することは不可能だったろう。暴風雪が激しくなった小峠付近で永野軍医が意見具申した通り、そこから帰営するのが、悲劇を回避する唯一にして最後の転換点であった。

 映画では、実際に雪の八甲田山で出逢うことのなかった5聯隊・神田大尉と31聯隊・徳島大尉を邂逅させているが、原作が描く「 神田大尉と徳島大尉の堅い友情 」は別の形として表れている。それが、31聯隊雪中行軍隊が八甲田山で回収した、5聯隊の三十年式歩兵銃2挺の顛末だ。徳島大尉は八甲田を超え、田茂木野村に到着した際、5聯隊の捜索救助隊指揮官の来宮少佐(神山繁)に宿所に呼び出され、階級を嵩にした居丈高な尋問を受けている。来宮少佐は神田大尉の死亡を徳島大尉に伝える時、神田大尉は気負い過ぎた雪中行軍計画をたてた責任をとって覚悟の自決をした。研究も不足だった、準備も不足だったと、5聯隊雪中行軍隊の遭難の責任は全て神田大尉にあるのだとでも言いたげに、断定した。徳島大尉は、雪中行軍隊に多大な犠牲者を出した責任をとり、舌を噛み切って死んだ神田大尉を誹謗する来宮少佐を許すことが出来なかった。来宮少佐に八甲田山中で何を見た、と声を荒げて聴かれた時、少佐の不遜な態度に思わず、「 何も見ませんでした 」と答えてしまう。これによって、31聯隊が回収した5聯隊遭難者の30年式歩兵銃2挺について報告することはできなくなった。このあたりは、映画では当然描かれていない。脚本の橋本忍が、徳島大尉と神田大尉の堅い絆を「 自決した神田大尉の亡骸と八甲田山中で対面させ、言葉を交わすシーン 」に脚色したのはさすがだと思う。31聯隊雪中行軍隊の出発に際して、徳島大尉が神田大尉に送った書簡の内容とこのシーンは一対を成しているからだ。「 今回の雪中行軍中、最も困難なる区間は増沢、田代、田茂木野間と存じ候。もしわが小隊がこのあたりにて困窮に陥ることあれば、武士の情けによりご援助くだされたく、このお願い申し上げ候 」 万が一、困窮に陥った場合の援助を要請していた徳島大尉であったが、皮肉にもそれは神田大尉の身にふりかかった。映画『 八甲田山 』は5聯隊・神田大尉と31聯隊・徳島大尉の運命を見事に対比させ、5聯隊雪中行軍隊遭難事件を簡潔かつドラマチックに描くことに成功している。


★日記『 脚本家・橋本忍の世界 』
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