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2022年05月08日12:12

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自分の言葉で語るということ

今日の日曜美術館は「まなざしのヒント〜西洋美術を楽しむコツが満載の特別授業を開講」

現在開催中、いずれも珠玉の名品揃いのメトロポリタン美術館展から、1枚の絵をピックアップし、その作品のどこに自分のまなざしを向けるか、何を読み取るか?何を思うか、感じるか?という面白いテーマだった。

講師は東京大学の三浦篤(西洋絵画研究家)と漫画家の荒木飛呂彦。
まずは彼らが、自分が絵の何に注目し、何を思い、何を感じるかをつかむための「コツ・ヒント」を語る。

その講義の後に、学んだコツやヒントを活かし、自らの目で見てみようという「課題」としてあげられた絵画が、このジャン・シメオン・シャルダン作による《シャボン玉》という作品だ。

では私も、自分なりに作品のどこにまなざしを向け、そこから何を読み取るか?何を思うか、感じるか?を考えてみようと思う。

まず目が向くのは、「シャボン玉」の持つ楽しい遊戯性とは全く無縁の暗い色調。
これが何を意味するか?

シャボン玉は、普通空に向かって吹くもの。
それが、この作品では、下に向けられている。
やはり、これは楽しいお遊びではない。

かなわなかった夢や希望。
失意、喪失の中にあってそれらの代わりに息を吹き込み膨らませているのは、希望ではなく、はかなく割れるシャボン玉。
光と影、明暗のコントラストが、その思いを強調する。

かたわらでその様子を見つめる少年がいる。
おそらく少年は「楽しい遊び、自分もやってみたい」と純粋無垢な思いでのぞき込んでいるのだろう。
しかしその未来ある少年に「これから君が歩もうとする人生はそんな楽しいもの、夢や希望で膨らんだものではないのだ」とでも諭している、寓意画のように思える。

とまあ、こんなことを考えた。

絵画に向けるまなざしと、それが目にしたもの、そして心に思い浮かんだこと。
自分なりの着眼点。
自分が何をどう感じて、そしてそれを他の誰の言葉でもない、自分の言葉で表現し綴るからこそ意味がある。
と同時に、それは「ああオレは今、こんなことを考えていたのか」と、心に思い浮かんだことを再確認することでもある。

作品に向けられたまなざしは、自分の心の内面に向けられたまなざしであるのかも知れない。









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