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2022年02月15日20:35

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真に「論理的態度」であり続けたいのであれば

■「4種以上、別々流入か」=国内のオミクロン株分析―感染研
(時事通信社 - 02月15日 14:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6851681

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昨今のコロナワクチンの効果の是非や功罪などについて。

専門家やエビデンス自体が賛否両論に分かれる課題は多い。人類や人生がかかってるのでおいそれと間違うわけにはいかない。神ならぬ人間の身で、なるべく正しい判断を下すために「論理的であること」というのは欠かせない。

この論理的自体は実に単純なものだ。

「前提」(理由)(原因)があって正しく「展開」し導き出される「結論」(主張)(結果)がある・・・

これだけのことだ。

だが論理による説得力には限界がある。

「論理的説得力の限界」というのは「相手にも一定以上の論理性がなければ通じない」ということ。言葉が通じない動物や、論理性レベルが低い子供には論理は通じにくいということだ。

厳密には「子供や動物ですら、彼らなりのレベルの独自の論理性というか理由や動機付けがあるのだが、そのレベル感が近しいか否か」というところだ。このあたりについては私も今まで「動物相手には言葉は通じないので調教するしかない」というような比較的過激な書き方を用いてきた自覚はある。

もうひとつ、こちらが今回の本命となる新しい主張だが、「論理的姿勢を保つには手間暇がかかる」ということを述べたい。

「論理的姿勢を保つ手間暇がかかる」というのは、ほぼニアリィイコールで「エビデンスの検証がとても大変だ」という意味だ。

Aさんが「〇〇大学の▲▲教授が××という研究結果の論文を発表した」という
エビデンスを示したとして。

〇〇大学が存在するか?そこに▲▲教授が実在するか?論文を発表したのは本当か?論文が存在するとしてそれは本当に▲▲教授のものか?論文の研究内容は妥当なのか?そもそも、その論文からAさんが言うような結論は導き出せるのか?

などなど。

内部監査などによる捏造の立証は、その組織において一定以上の権限があって初めて可能なものである。出てくるエビデンスすべてを検証するのはとてつもなく手間がかかり、実質不可能だ。

なので、自分と異なる意見に対してはいちいち「論理的な検証」などせずに「捏造だ」「非常識だ」「陰謀論だ」といった決めつけ、言い捨てをする方が多いのも仕方がないことだ。すべてを検証などしてられないのだから経験などで「判断の省略」を行うわけだ。

たとえばネット上での「個人情報の扱いの注意書き」など、どれだけの方が一文字一文字読むだろうか? かくいう私も面倒くさがって「多分大丈夫だろう」として同意してしまっている(笑)。

これらは内部監査的に言えば「仮説」というより「予断」に近しい。

1つめの「論理レベルの違い」に比べると、自称「論理的」な人もこの「予断」を多々用いている。最近も実際に「論理的な人物」に指摘をしたこともあるが、当人は指摘を受けても意に介さない感じであった。

「自身の論理性をかたく『信じて』いる」ようだ。

「常識的にあり得ない」「バカらしすぎて検証にも値しない」「自分の意見は正しいに決まってるから相手の意見は間違いに決まっている。だからクソミソに言ってよい」という態度は「論理的謙虚さを失った傲慢さ」につながる。

もし対立意見をクソミソに言うのであれば、少なくとも「論理的な検証をした」かのような態度はやめるべきだろう。「論理的ではないかもしれないが、私はそんなものは信じられないから信じない」というほうがいっそ正直というものだ。

ある内容のエビデンスに対して反する内容のエビデンスを出しても、それは捏造の立証とはならない。あくまで「あらたな別のエビデンスの提示」でしかない。後に出されたエビデンスが正しいという証明がどこにあるのか? 真に論理的態度であり続けたいのであれば、自説こそ疑い続けなければならない。

むろん、私もいちいちすべてのエビデンスを検証などしない、というかできない。いわゆる陰謀論的なものにうさん臭さを感じてはいる。だが、自分が信じるエビデンスも「信仰」に過ぎないという自覚はあるし、自説と異なる意見やそれを信じる人をクソミソに言うつもりはない。それぞれの価値観や立場、論理性があるのであり、私の信じる説が「天動説ではない」という絶対的証明などないのだから。

だから最後は「誰が言ったこと」「どのエビデンス」を信じるかという信仰や宗教と大して変わらないわけだ。

冒頭申し上げた「ワクチンの是非、功罪」についても多数のエビデンスが飛び交っているが、それらは論理的なやり取りというよりは「僕はこれを信じる」という水掛け論にすぎない。そして私はそれでいいと思う、というよりもそれ以外の選択肢がない。迷いながらも自分が信じるものを信じる。かといって自分が信じる説以外にも謙虚に接する。これが私の考える「論理的な態度」だ。

「意見が異なるというだけ」の理由で人間同士が争うことでコロナウイルスよりも被害が大きくなってしまっては本末転倒というものだ。あまり賢くはないと思う。
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