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2022年02月07日14:09

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近現代肉食システムの大弊害

   誰もやりたくない屠殺を一部の人たちに押し付けて、それ以外の大多数者が肉食を楽しむシステムであり、それが当たり前に思われている点である。肉が売られている事は、殺される動物・殺す人がいる事は子供でも分かるのに、ほとんど両者に無関心。冷たいわけである。一友人から屠殺場の動画を見せてもらったが、牛も豚も殺されることがわかり、猛烈に抵抗する。そうだろう、ライオンに襲われるシマウマもそうだから。逆に、シマウマがライオンを蹴り殺す時もあるそうだ。従って、その仕事師もケガもしかねない。また、動画は無声だが、牛も、豚も悲しげな声も上げるそうである。でも、屠殺システムが作られて以来、そのような事は隠ぺいもされ続けている。

  特に食べ物に関するシステムは日常的だから、「イヤな事は誰かに押し付け、自分だけ楽しめばよい」と以上ならば、ほとんどが思い込んだのではないか。その中でも、日本のその変化は急速だったようだ。明治初めに肉食解禁になり、以上の社会に変わった。理由は判らなかったが、日本本来の優しい文化を評価した小泉八雲が急速に冷たくなっている日本人と日本社会を嘆いている。あと、西南戦争、徴兵令、日清・日露戦争と続き、明治末からハンセン氏病患者隔離となったわけである。全生園元患者自治会が出版した「倶会一処」という1978年までの全生園の歴史を書いた本によると、「医療は名ばかり。患者は死を待つしかなかった」。屠殺こそないが、牛や豚と同じ運命にされたようなものである。元々は病人をやさしく看護した日本社会が、官民こぞってそうした。冷酷になり切っていた。

  平和・基本的人権の憲法下も同じ。肉食は地方にも普及し、その傾向は深まった。拙小説に書いた、昔の島田療育園の職員不足も、今の介護士や保育士の絶対的な不足も、以上だと思うように。「イヤな事は誰かに押し付けて、自分だけ楽しく」という社会システムがあれば、エゴ意識が蔓延し、介護関係の仕事にも人は来ないわけである。1970年ごろ、官が盛んに作った障害者コロニーも閉鎖的で、個室もないなど、入所者への思いやりを著しく欠くもので、多くの障碍者たちの反発を買った。その障碍者たちも、自分よりも障碍の重い人たちへの思いやりを欠き、重い障碍者は使えない福祉制度も作ることもあるなど、それも冷たかった。確かに、障害を持つ人たちも以上のシステムの中にいる以上は同じになる。また、「ボランティア活動や聖書に偽善性を感じる。人はみな自分だけが楽しければ良いと思っているのに、愛は実践できない」と言ってボランティアやキリスト教を止めていく若者を多く見てきましたが、以上のシステムならばそうなるかもしれない。いくらボランティアしようが、聖書を読もうが。大体、聖書の時代には以上のシステムはなかったわけですし。

  見てきましたが、その他、諸々の戦争にも関係するのは間違いないでしょう。早くにそのシステムが作られたイギリスのアヘン戦争とかも。心理学者たちは研究して欲しいですが、社会システムは人間の心理に深い影響を与え、行動や福祉にも影響を与えています。(「口に入るものは何でも清い」とイエスは言ったから、肉食はキリスト教では認められている、と聞いた。でも、まさか以上のシステムと気持ちはイエスの教えには合わないだろう。そのころのように、食べる肉を自分で屠殺するのならば、どれだけの人が肉を楽しく食べるだろうか)(人含む哺乳類、更には、鳥類は多くの共通遺伝子を持つことが最新科学で明らかになった。屠殺する事を悲しく思うのも、遺伝子共鳴のためではないかと思う。遺伝子科学から見れば、哺乳類と鳥類を食べることは共食いになるかもしれない。さらなる遺伝子科学の発達も、肉食廃止に導くとも見ている)
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