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2021年12月12日18:46

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九十八歳。戦いやまず日は暮れず[読書日記860]

題名:九十八歳。戦いやまず日は暮れず
著者:佐藤 愛子(さとう・あいこ)
出版:小学館
価格:1,320円(税込10%)(2021年8月 初版第1刷)
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前回に続いて佐藤愛子さんのエッセイ集です。

帯の惹句を紹介します。
“直木賞受賞作『戦いすんで日がくれて』から52年。
 いまだ戦いやまず日は暮れず、
 ヘトヘトの果でしぼり出した
 最後のエッセイ集!”

印象に残った文章を引用しましょう。

【ヘトヘトの果】から、文章が脱線してしまう話。
“ヘトヘトの話がおからになりかけて、そして居候の話になってしまった。書いているうちに話の筋道が勝手な方
へ行ってしまう。これが九十五歳の作家のなれの果の文章です。もう書くのはやめた方がいいと思いつつ、なぜ
か書いている”(20p)

【時は流れぬ】から、女性派遣社員からの人生相談が“職場の男性上司が吐き気をもよおすほど不快”という話。
“それにしても、吐き気をもよおさせる男というのはどんな男なのか。
 男の中にも「アカンタレ」「カッコつけ」「厚顔無恥(に女に手を出す)」などいろいろいるが、「吐き気」というのは珍しい。参考のために一度見参したいものである”(52p)

【算数バカの冒険】から、著者の父親が可愛がった調教師の話。
“父の代から深いつき合いのある競馬関係の人物で、競走馬で有名なシンザンを育成した調教師の武田文吾さんである。
彼は「佐藤紅緑(父の名)は四人の息子がみな不良なので、武田を息子代りに可愛がっている」と風評されるくらい、父に気に入られていた人だ”(71p)

【前向き横向き正面向き】から、週刊誌から求めれたコメントの話。
“某週刊誌から電話コメントを求められた。日本人が長命になり、老いてからの長い歳月を生きつづけなければならなくなった。その歳月を前向きに過すにはどうすればいいか。そのコトを、という質問である。
 「うーん」
 ひとまず私は唸った。
 ――べつに老人が前向きに生きなければならないってことはないんじゃないの?
 それが私のいいたいことである。もっと端的にいうと、
 「もう前向きもヘッタクレもあるかいな」
 という台詞だ”(91p)

【思い出考】から、女学校のクラス会の話。
“クラス会は楽しかった。敗戦後の厳しい現実の中では、気心知れた旧友と思い出話をするほかに何の楽しみもなかったのである。楽しんでする思い出話といえば、平和な時代の学校生活、懐かしいあの時この時の思い出かと思われるだろうが、そうではなかった。
 胸の中に溜りに溜っている戦時中の苦労話、話そのものは楽しくはないが、それを吐き出すのが楽しかったのだ”(141p)

【千代女外伝】から「加賀の千代女」の有名な俳句の話。
“小学校五年生の時だったと思う。国語の授業で私は「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」という俳句を教わった。それが俳句というものを知った最初である。(略)
 担任は石塚先生という中年男性だったが「この句を見てどう思ったか? 佐藤さん」といきなり私は指名された。
――どう思うか?……いきなりいわれてもなァというのが最初の感想であった。(略)
 なにもわざわざ隣りへ行かんかて、朝顔の蔓を引きち切ったらええだけのことやないのん、と私は思ったのだが、そんなことをいっては先生の気にいらないことぐらいはわかっているから、黙っていた”(155p)

【さようなら、みなさん】からは2つ。
1)著者が六十七歳から書き綴ったエッセイのタイトル。
“《私が本誌(「オール讀物」)に「我が老後」と題して日常所感を書き始めたのは1990年の夏、「十一月がくれば私は満六十七歳になる」》という書き出しである。へえ、六十七歳で私はもう「老後」に入った気持だったのだな、六十七歳なんて女盛りとはいえないまでも人間盛りだったのに。そう思いながら先を讀む。
 《その後、「なんでこうなるの」を二年書き、「だからこうなるの」になり、「そして、こうなった」に至った時は二〇〇〇年で、この時、「にくまれる婆ァとなりて喜寿の菊」という句を詠んで七十七歳にだった》
とつづき、《そこで終わるつもりだったのが、「それからどうなる」とつづき、一年後に「まだ生きている」に突入。どこまでつづくぬかるみぞ、という趣になりそうなので、断乎、ここでやめた。この時八十二歳。およそ十六年書いたわけで、ずいぶん長い「老後」である》”(183p)

2)著者の最期の言葉。
“――これでおしまい。
 これを私の最期の言葉として遺したい。ゲーテは「もっと光を」といったそうだが、「これでおしまい」の方がさっぱりしていてよいのではないか?「もっと光を」はどうも未練がましくていけない”(184p)

表紙の見返しには
“みなさん、さようなら。
 ご機嫌よう。
 ご挨拶して罷り去ります。”
ときっぱりと書かれており、清々しささえ感じます。
著者は“老人に前向きもヘッタクレもない”と書いていますが、なぜか前向きな気持ちになれるエッセイ集でした。

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佐藤 愛子(さとう・あいこ)
1923(大正12)年生まれ。甲南高等女学校卒業。
昭和四十四年『戦いすんで日が暮れて』で第六十一回直木賞、五十四年『幸福の絵』で第十八回女流文学賞、平成十二年『血脈』の完成により第四十八回菊池寛賞、二十七年『晩鐘』で第二十五回紫式部文学賞を受賞。
二十九年春に旭日小綬章を受賞。
エッセイの名手としても知られ二十八年に刊行した『九十歳。何がめでたい』は二十九年の年間ベストセラー総合第一位になった。
近著に『人生論 あなたは酢ダコが好きか嫌いか 女性二人の手紙のやりとり』(小島慶子との共著)などがある。
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