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2021年11月20日16:18

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映画「チャサンオボー玆山魚譜」

イ・ジュニク監督の新作『玆山魚譜』を見に行ってきた。(いつものことですが、内容に触れています)

 18世紀末の李朝朝鮮、代々学者の家に生まれた若銓(ソル・ギョング)が、学びの過程で西学に接したことで、時の為政者のキリスト教迫害の対象となり、流刑となる。その流刑先で、チャンデ(ピョン・ヨハン)という類い希な魚の知識と知的好奇心を持つ漁師の青年と出会う。黒山島の豊かな海産物を前に新たな知の可能性を見出した若銓は、この青年の助けを借りて『玆山魚譜』という後世に残る水生生物の博物誌を残した。
 この流刑地での二人の交流というだけでは、なかなか映画になりにくいが、イ・ジュニク監督はこのチャンデにより多くの光を当てることにより新たな物語を作り出した。
 若銓については歴史的な記録がある。映画では、キリスト教迫害によって流刑になった経緯や、若銓の残した『松政私議』や『漂海始末』といった書物についてもコンパクトに詰め込んでいる。
 しかし、監督は『玆山魚譜』の著者として名を残した丁若銓の単なる伝記映画にはしたくなかったようだ。映画では、重税によって苦しむ庶民と私利私欲に走る腐敗した役人の世界を対照的に描く。その両方の世界を目にした証人として、チャンデを位置づけ、若銓と正反対の立場から時代の特徴を浮かび上がらせた。それにしても、チャンデが若銓の教えを受けて学問に精進し、実父の力で両班となり、仕官するまでになるという展開は予想外だった。
 学問への情熱が実を結び、仕官するチャンデだが、庶民をなぶりものにする役人の世界になじむことができず、官職を棄てて故郷の島に戻ることを選ぶ。映画の後半はチャンデの激動する人生が描かれ、これまで庶民の目から歴史映画を作ってきたイ・ジュニク監督らしいストーリーとなっている。

 この映画の中では、当時のキリスト教の広がりやその迫害についてはあまり詳しくは描かれていない。黄嗣永文書がちょっと出てはくるが、国家への反逆罪として主に知識人が弾圧されたという印象である。ここは、一般庶民にもキリスト教信仰が広まっており、はげしい弾圧が庶民にも及んでいたということを描いた小説『黒山』とは対照的だ。
 若銓は、キリスト教を信仰していたというより、学問の対象の一つと考えており、キリスト教の中にある平等思想や「赦し」といったところに普遍的な価値を見出していたようだ。また、弟の若�匹痢慄厂運棺顱戮�あくまでも為政者の視点で書かれたものであるのに対し、若銓は、両班もない、平民もない、誰もが平等な社会こそ理想だと唱えるシーンがある。こういった若銓の思想は、弟の若�匹茲蠅盍躙韻世噺�なされ、遠流の対象となったというのがイ・ジュニク監督の解釈だ。
 
 若銓とチャンデの関係の描き方もおもしろい。当初、朱子学を至高の学とするチャンデにとって、邪学により罰せられた若銓は尊敬できず、嫌悪すべき対象だった。若銓にとってもチャンデは生意気で無礼な若者に過ぎなかった。ところが、お互いに窮地を助けるという体験を通して近づいていく。そして、対等な取引として、お互いの知識を与え合うことになるのだ。その二人を見守っているのは、若銓に住居を提供し、身の回りの世話をしているカゴ(イ・ジョンウン)だ。
 彼女は、カゴ島(可居島)からこの島の漁師に嫁いできて、夫が海難で死んだという設定で、カゴ島から来たので、カゴさん(カゴ宅)と呼ばれている。地図で可居島の位置を調べると、黒山島からまたさらに南にある小島で、韓国の最西南に位置する島とわかった。黒山島よりも不便な場所から来た女性なのだ。イ・ジョンウンの演じる彼女のキャラクターがとてもよい。また、島の別将オムを演じるチョ・ウジンも下級役人の悲哀をユーモラスに表現していて憎めない。それに対して、チャンデの両班の父(キム・ウィソン)や、地方長官(トン・バンウ)は、ほんとにイヤな奴として描かれている。

 黒山島の水産生物についての本を著そうと決心した若銓がいろいろな生物に好奇心を持ち、チャンデの知識に感心しつつも二人で協力して記述を進めるところはとても楽しい。イソギンチャク、ガンギエイ(紅魚)、エイ(カオリ)、イシナギ、サメ、ムツゴロウなどが登場する。タイがクラゲを食べるとか、ウニから鳥が生まれるといったチャンデの体験談も取りこまれる。200年前に書かれた『玆山魚譜』が、映像として蘇ったことを実感させる。

 ただ、脚本を書いたキム・セギョムの趣味なのか、観客を喜ばせるための韓国映画の常道なのか、かなり下ネタが散りばめられていた。確かに、『玆山魚譜』にもイソギンチャクが人間の肛門に似ているとか、エイの交尾のこととかが書かれてるのだが、そういう所を選んで取り上げてるような気もした。また、庶民が卑猥な冗談を言うのは普通なんだろうけれど、これはやり過ぎだろうと思う場面もあって感性の違いを感じた。
 
 どちらかというと地味な物語だが、後半、チャンデの人生の変化はドラマチックである。両班の父の庶子であったという設定から、運命の逆転を経験することになるチャンデ。ちょっと非現実的な感じもするが、チャンデに若銓と対等な役割を与えたかったという監督の意図はよく伝わる。チャンデが若�匹鯔�ね、その場で即興の掛け合いで漢詩を詠むことができたというシーンは感動ものだ。あの時代の知識人はそんなことまでできなくてはならなかったのか。今の韓国で、漢詩ではないが、詩がとても重要であることを思い出させられた。
 
 流刑中の若銓の暮らしは質素だがそれほど不自由さは感じられない。家は粗末だが、食事はおいしそうで、学者の必需品である書物や紙、筆や墨や硯もある。
 でも、200年前の離島の暮らしはもっと大変だっただろう。ガンギエイを買い付けに来る商人がいたということは、島の主たる収入源は海産物の加工品で、作物は大して取れなかったのだろう(映画の中のおいしそうなトウモロコシは近代品種のスイートコーンだな)。衣服も自分たちで麻を植えて繊維を取り、機織りをして仕立てていたはずだ。税として軍布を収めろというのだから、機織りはどこでもやっていたのだろう。若銓が『長いこと肉を食べていない」とこぼすと、若�匹蓮屬修海蕕犬紊Δ砲い觚い鱠�で取って食べろ」と返信しているんだが、取って食べるような犬もいなかったんだろう。
 やはり、200年前の離島の暮らしはほとんど想像できない。その苛酷な暮らしの中で、何とか書物や紙や筆を手に入れ、イカの墨なんかを墨の代用にしつつも著作を成し遂げた若銓に思いを馳せる。「聖徳太子」以来の時代劇のソル・ギョングだが、朝鮮時代の学者がこんなに似合うとは思わなかった。そして、ピョン・ヨハンもよかった。映画では「あなた、そこにいてくれますか」と「エンドレス〜繰り返される悪夢」と、ドラマ「ミセン」で見ている。ソル・ギョング主演の「監視者たち」にも、ほんのワンシーン程度の端役で出ている。それがきっかけでソル・ギョングがチャンデに推薦したというけど、ぴったりだった。

 今回、プレスシートはもらっていたけれど、パンフも買った。プレスシートは間違いが多く、正誤表付きだったが、パンフはプレスシートにあった間違いは直してあって他人事ながらほっとした。黄嗣永の漢字が間違っていたところも直してあったので、今回は、ちゃんと監修できる人がチェックしたのであろう。
 劇場からのプレゼントで、右のポスターに描かれた魚のイラストのついたステッカーをもらいました。
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