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2021年11月08日17:17

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深まる秋に ”A string around autumn〜秋をたたむ紐”

「リュリ,クープラン,ラモー,ドビュッシー,メシアンに至る,香気あふれるフランス音楽の系譜に,私が,他のどの音楽的伝統にも増した親近性を感じるのは,そこに音楽的色彩に関する,詩的で繊細な,感受性の歴史を見たからにほかなりません。

私は,ドビュッシーのたぐいまれな直感に導かれて,音の光と影,音の密度と濃淡というものを認識し,さらにメシアンから,時間の『色彩』と『形態』という観念について学びました」
〜武満徹「遠い呼び声の彼方へ」より

まさに,彼のその言葉が結実したかのような音楽,いや,音空間。
武満徹”A string around autumn〜秋をたたむ紐”

音の光と影,音の密度と濃淡、そして時間の『色彩』と『形態』、
それはしんと澄んだ秋空のもと、空気がいっそう冷たさを帯びゆく中で、紅葉が日一日と色付きを増し、燃えるように変わりゆくさま。
微かに、しかし確実に冷たさを増していく大気の震え。
その移ろいゆくさまを、武満は音で描いた。

常に移ろいゆき,一定の色彩や形態,大気の密度をとどめえないもの。
それをあえて音で表現するとなれば、このような音楽になるのではなかろうか。

音楽とは時間を伴うものだから,秋の空気の深まり、そして紅葉の色彩の移ろいゆくさまを,その時間の経過の中に表現するには,非常に適した芸術形態なのだろう。

この曲は、大岡信の英詩集『秋をたたむ紐』A String Around Autumn
「沈め 詠うな ただ黙して 秋景色をたたむ 紐となれ」:Be simple: A String Around Autumnから着想を得て作曲された、ヴィオラとオーケストラのための作品である。

さざめくようなオーケストラの響きは秋風に揺れる梢のささやき、湖畔の静かな波紋。
ヴィオラは、木々や湖畔の遊歩道を散策する人の、色濃さを増す紅葉やしんとした空気、秋景色に馳せる思いを綴る。
いかにも後期武満の作品らしく、実りあふれるかのような芳醇なオーケストラが、深まる秋の情景を「たたむ」かのように綴り、奏でる。

「父は調性だの無調だのにこだわっていなかった」という彼のお嬢さんの言葉通り、明確な調性を伴う音楽(音楽の授業の冒頭「起立−礼−着席」のように、「始まり−緊張−解決」と向かうドラマの進行を持つ音楽)ではなく、調性と無調の境界線上をゆったりたゆたうかのような、夢見心地の音空間。

無調や現代音楽というと,繁栄を謳歌する表の顔と,不条理と矛盾に満ちた裏の顔に分断された現代社会の病んだ姿そのものをあたかも写したかのように,いつ始まるとも,いつ終わるともなく,突然襲いかかる不協和音と,そして次にどの音,どの和音に進むか全く分からない,調性のドラマの進行のない不気味で不安定な音楽,聞く者に我慢と忍耐を強いるものというイメージがある。

しかし,常に一定の姿形と色彩をとどめない深まりゆく自然は,そもそも起承転結のドラマなど持ちあわせてはいないし,いつ始まるか,どのように進行するか,いつどこに落ち着くかの予定された展開などない。

それでも私たちは,秋景色の常に移ろいゆく様相を味わうことができ,そこに美しさを見いだすことができる。
秋空も、紅葉も、うろこ雲にも、そこには「始まり−緊張−解決」のドラマの進行を伴っていなくとも、私たちはその美を感じることができる。

調性の代わりに音楽に進行の力を与えているのが、旋法(一定の音階)のモチーフ。
「ミ−ファ#−ラ−シ−ド−レ−ファ−ラ♭」と連なる音階の動機を、武満は「(秋をたたむ)糸のような流れ」と呼び、「さまざまな断片的な旋律的動機によって織り上げられた想像風景である」と述べている。

フランス革命200周年記念行事の一環として開かれた「パリの秋」フェスティバルの委嘱を受け、彼が「最も強い影響を与えたドビュッシーとメシアンを生んだフランスの人々のために捧げる」と作曲した、実りの秋にふさわしい芳醇なオーケストラとヴィオラの響きで、秋景色とそれを観照する人の姿を描いたこの曲は、そのフランスを代表するもうひとりの作曲家にちなむ「国際モーリス・ラヴェル賞」を受賞した。

「武満徹さんが表現されたものは,たまたまアウトプットが音楽だったけども,どこかでちょっとそのアウトプットに至る回路が違ったら,詩になったかもしれないし,文学だったかも知れない。何にでも成り得る。何にでも成り得る音楽というのは,他には誰も書いていないと思うんです。
『僕は音楽じゃなくてもいいんだよ。たまたま音楽だったけれども,もし出口がちょっと違ってたら,絵になったかも知れないし,それはそれでいいんだ,うん』と言うんじゃないかという気がしますね。それがすごく不思議です。他の誰とも違うという気がしますね。
(中略)

武満さんの音は,ひとつひとつの音が,これはたまたま音だったけれども,キャンバスに描かれたいくつかの絵の具の何かの色かも知れない。音色という言葉があるけれど,それは音の周波数とか波形じゃなくて,純粋に絵の具で描いた,パレットに置かれた色彩そのものなんじゃないかと思うんですね。」
〜池辺晋一郎(作曲家)「武満徹全集第4巻」より

この曲に代表されるように、武満徹の音楽は,例えば刻一刻と移ろいゆく夕暮れの姿と色彩のように,音楽と言うよりは自然現象そのものという感じがする。

作曲家も演奏家も指揮者も知らないところで、生まれた音が、あたかも自らの意志を持ったかのように細胞分裂と増殖を繰り返し、楽譜や演奏から開放されたところで、秋を綴じる糸のように空間を縫い、コンサートホールやスピーカーの間を行き交い、すり抜け、交錯する。

夏の生気に満ちた濃い緑の葉から、徐々に黄金色へ、そして燃え立つような赤へと、紅葉がその濃さを増す様、それはDNAの記憶にプログラムされた進行ではあるが、と同時に、例えば気温や湿度、日照時間といった偶然の要素も深く関与しているのだろう。
春の桜は、ソメイヨシノという単一種の同じDNAを持つクローンが各地に広く分かれていったものだが、その開花と散り際の時期は一定ではないように、武満の音楽もまた、楽譜という一定のプログラムを持ちながら、そこから放たれた音が、あたかも生命を宿したかのように自らの意志と偶然の要素のもと、広がりたい方向に広がり、進みたい方向に進み、秋をたたむ糸のように空間を縫ってゆく。
その秋の糸の調べを、私たちは聴いているのだ。
そして、DNAのプログラム、あるいは楽譜の指示によって音は綴じられ、閉じられる。

「私の音楽は、自然から多くを学んでいる。
自然が謙虚に、しかし無類の精確さで示すこの宇宙の仕組みに対して、
私の音楽は、その不可知の秩序への限りない讃嘆なのだ」
武満徹”Visions in time"より
微かに、しかし確実に冷たさを増していく秋の空気が、自らの身をすくむような震え、
その微かな空気の振動を音の振動に変換するような、彼の音楽。

武満と、そして同じく私の好きな作曲家の坂本龍一が、ともに口にする言葉がある
“Open your ears”〜耳を開いて、聴くこと
深まりゆく秋のしんと澄んだ空気を、大きく深呼吸して、身体の中に取り込むように。
彼らの音楽は、私の耳を、目を、そして心を開かせてくれる。


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