mixiユーザー(id:1833966)

2021年10月31日05:16

114 view

アルプス氷河の5200年前の凍結ミイラ「エッツィ」or「アイスマン」の発見から30年

 今から30年前の1991年9月、オーストリアとイタリアの国境の山岳地帯で、ヨーロッパで最も有名なミイラが発見された(写真)。約5200年前の凍結ミイラ「アイスマン」だ。

◎イタリア、南チロル考古学博物館で入念に保管
 標高3200メートルの湖のそばの氷原で、うつぶせの状態で横たわっていたこのミイラは、発見地エッツタール・アルプスから「エッツィ」と名付けられ、たちまち世界中から注目を浴びた。発見後の調査研究の様子も含めて、僕はエッツィのドキュメンタリーを2編も観たことがある。
 エッツィは現在、イタリア、ボルツァーノの南チロル考古学博物館で注意深く管理されている。干からびた体は、零下6℃に保たれた特製の冷凍室に保存されている(写真)。
 世界で最も綿密に調査された人体とされるエッツィは、この間30年間にわたる、法医学者など多くの研究者たちに調べられ、以下のプロフィールが浮き上がってきた。

◎死亡推定年齢は46歳頃
 エッツィは、やせて身長約160センチと小柄な男性で、死亡時の年齢は約46歳(復元想像図)。左利きで、足サイズは26センチ。ゲノム解析によると、瞳は茶色、髪は濃い茶色で、皮膚の色は地中海人種に典型的なものだったようだ。
 また血液型はO型で、珍しい遺伝子異常によって第12肋骨が形成不全になっている。虫歯、腸内寄生虫、ライム病に悩まされ、膝、腰、肩、背中に痛みを抱えていた。
 彼の体には61もの入れ墨があったが、それは損傷がある骨と関節の位置を示していた。
 また、エッツィは複数の肋骨と鼻を骨折したことがある。指の爪に水平に残る溝は、死の数カ月前に幾度となく肉体的ストレスを受けた印で、おそらく長い低栄養状態によってもたらされたものだろう。さらに、動脈硬化になりやすい遺伝的素地があった。

◎アナトリアから来た集団の5200年前の子孫
 放射性炭素年代測定の結果、エッツィが生きていたのは、紀元前3350年〜同3110年、すなわち約5200年前頃、ヨーロッパ新石器時代の時である。
 DNAの特徴からエッツィは、8000年〜6000年前にかけてアナトリア地方から移住してきて、ヨーロッパに原住していた狩猟採集民に取って代わった新石器農耕民だったことが分かる。エッツィの母系の遺伝子は途絶えたが、父系の遺伝子は現在もイタリア、サルデーニャ島を初めとする地中海の島々の住民の一部に受け継がれている。

◎エッツィの着ていた物、持っていた物
 発見当時、エッツィは片方の靴しか履いていなかったが、その後、遺骸発見場所の周囲で多くの遺留品が回収された。タイツとコート類(薄手のコートと厚手のコート)は、その地方のヒツジやヤギの皮をつなぎ合わせたものだった。干し草が詰められた靴には、ウシの皮が使用されていた。ヒグマの毛皮の帽子も見つかっている。
 死の前までエッツィは、木枠のあるリュックサックとシカ皮の矢筒を背負ってエッツタール・アルプスを歩いていた。矢筒に収められた20本の矢のうち矢尻がついていたのは2本だけだった。矢尻が不足していたのだろうか。フリントの刃がついたナイフは逸品だ(写真)。
 最も重要な遺留品の1つが、見事な銅製の斧だ。イチイの柄に牛皮とシラカバの樹脂で固定された刃は、純度99.7%の銅から鋳造されたものだ。新石器時代当時としては非常に貴重な道具であり、この発見によってヨーロッパの銅器時代の始まりが1000年もさかのぼることになった。

◎豪華な最後の食事は処刑前のご馳走?
 死の数時間前、エッツィは、ヒトツブコムギ、アカシカ、アイベックスの肉などをたくさん食べていた。
 この最後の食事状況は、以下の様子とかなり齟齬がある。
 例えば右手の親指と人差し指の間に傷があり、彼が死の数日前に刺されたことが分かっている。おそらく相手の刃物をつかもうとして防御創を受けたのだろう。
 その後、今度は左肩の後ろの動脈を矢で刺されたが、この防御創はまだ癒えていなかった。矢を引き抜こうと腰をおろす時間はあったかもしれないが、出血のため数分で絶命したので、実際に矢を引き抜く時間はなかっただろう。
 つまり死の数日前の右手の傷から、彼はアルプス山中を誰かに追われていたと推定される。そして捕まった。
 処刑前、野生動物の肉の入ったヒトツブコムギの粥を「最後の晩餐」としてたくさん与えられ、その後、後ろから矢を射かけられ、それが致命傷となったのだ。

◎亡くなったのは初夏、それでも突然の大雪が奇蹟的に遺体を保存
 遺体は、そのままそこに放置され、直後に大雪に見舞われ、遺体は積雪の中に埋葬され、やがて雪は氷河となったに違いない。そうやって5200年間も凍結され、20世紀末まで保存された。
 エッツィの体の中に残された花粉とカエデの葉から、死亡したのは初夏だったことが分かっている。それでもにわかの大雪がエッツタール・アルプスを襲ったのだ。通常なら死後数日で他の臓器とともに液状化する脳が、良好に残っていたからだ。急速に凍結され、乾燥状態で保存されたのに違いない。
 またエッツィは、重度の脳出血を起こしていたが、誰かがエッツィの頭にとどめの一撃を加えたものなのか、それとも逃げようとして転倒して岩で頭を強打したものなのか、分かっていない。

注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
 写真をご覧になりたい方は、お手数ですが、https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202110310000/をクリックし、楽天ブログに飛んでいただければ、写真を見ることができます。

昨年の今日の日記:「1.2万年前頃、何を思って母子2人は雨の荒野を急いでいたのか? 米のホワイトサンズ国立公園でクロヴィス文化期の大量の足跡発見」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202010310000/

4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年10月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31