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2021年10月20日21:21
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p.155 当時の南アラビアには、サバァ、ヒムヤル、ハドラマウトの三つの王国があり、互いに争っていたが、アクスム王国はこの王国間の争いに巧みに乗じながら、勢力を伸ばし、アラビア半島南西部の紅海沿岸だけでなく、内陸部の交易拠点ナジュラーンにまでその支配を広げたのである。…そして、アクスムの王、あるいは王子が南アラビアのサワーに駐在し、ナジュラーンには王の代官が置かれた。 p.156 蔀勇造の考えでは、アクスム王国の南アラビア支配は、ササン朝によってその勢力が駆逐される六世紀後半まで続き、この間の三世紀半ばには、アクスムの王は、本国エチオピアでの反乱を機に、大遠征を敢行し、北は紅海北部のレウケー・コーメー、南はソマリア北部のアデン湾の沿岸まで制圧した。こうしてアクスム王国は、三世紀後半には、ローマ帝国、ササン朝、中国と並ぶ、世界の四大帝国の一つとして、マニ教の創始者マニによって数えられるに至ったのである。 p.158 シャープール二世(三〇九〜三七九年)の治世には、アラビア人がペルシア灣右岸を攻撃したので、同帝自ら軍を率いて、アラビア半島へ懲罰のため遠征し、その海岸地帯を荒らし、内陸深く、メディナの近くまで軍を進めた。 p.159 さらに、ササン朝に黄金期をもたらしたホスロー一世(在位五三一〜五七九年)は、五七〇年代にイエメンに軍を送り、アクスムの勢力を追い払い、紅海とアデン湾を分けるバブ・エル・マンデブ海峡も制圧し、紅海ルートも扼するまでになった。 p.201 二世紀後半から三世紀前半になると、アクスム王国やササン朝ペルシアの商人がシルクロード交易で活躍するようになるが、それは単にローマ帝国の商人が彼らとの競争に敗退したのではなく、ローマ帝国を含むユーラシア大陸全体の情勢悪化を受けて、自発的に交易から早々に撤退していった結果でもあったのだろう。
アメリカ海軍の空母ドワイト・D・アイゼンハワーと、その空母打撃群が2021年4月2日(現地時間)、地中海から再び開通したスエズ運河を通り、紅海へと進出しました。今後アイゼンハワーは、第5艦隊の担当区域で周辺国との共同訓練を実施するほか、先に中東入りしているフランス空母シャルル・ド・ゴールと同様に「テロとの戦い」に従事します。 スエズ運河を通過したのは空母アイゼンハワーと、その空母打撃群を構成する巡洋艦モンテレー、第22駆逐隊の駆逐艦ミッチャー、駆逐艦ラブーン、駆逐艦マハン、駆逐艦トーマス・ハドナーの計6隻。スエズ運河はコンテナ船の座礁により通航が支障されていましたが、コンテナ船が無事離礁したことにより3月29日から通航が再開されています。 スエズ運河は、既存の水路や湖などを繋ぎ合わせるように作られています。このため、水路はまっすぐではなく曲がりくねっており、大型の艦船が通航する際にはパイロット船の先導が必要です。 アイゼンハワー空母打撃群が無事スエズ運河を通り、第5艦隊の担当区域に進出したことを受け、第5艦隊司令官のサミュエル・パパロ中将は「エジプト政府とスエズ運河庁が、全ての船舶にとって重要なこの水路で通航の安全を確保するため、努力していること、そしてアイゼンハワー空母打撃群を迅速に通航させてくれたことに感謝申し上げます」との談話を発表しています。 アイゼンハワー空母打撃群(CSG-2)の司令官、スコット・S・ロバートソン少将は「私たち空母打撃群は、紅海にて任務を行うことを大変楽しみにしています。第5艦隊全体にとって、地域とのパートナーシップが重要なのはけして誇張ではなく、エジプトとの関係を強化することは、私たちの永続的な海洋での努力における信頼とダンケル、双方を促進するために欠かせないものです」とコメント。スエズ運河通航における、エジプト当局の協力に謝意を示しています。 アイゼンハワー空母打撃群は、紅海をはじめとするアラビア半島周辺海域で、地域の国々と共同訓練を実施する予定。また、先に中東入りしているフランス海軍の空母シャルル・ド・ゴールと同様、この地域における「テロとの戦い」に従事することになっています。 <出典・引用> アメリカ海軍 ニュースリリース Image:U.S.Navy (咲村珠樹)
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