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2021年09月26日08:40

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日本史サイエンス[読書日記849]

題名:日本史サイエンス 蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る
著者:播田 安弘(はりた・やすひろ)
出版:講談社ブルーバックス
価格:1,000円+税(2021年1月 第7刷)
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マイミクさんが絶賛されていた日本史の謎に迫る本です。

裏表紙の惹句を引用します。

“いまだに解けない謎を「科学」で読みなおしたら
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 文永の役で日本を危機に陥れた蒙古軍は、
 なぜ進撃を続けず、一夜にして兵を引いたのか?
 明智光秀を討つために羽柴秀吉が中国地方から
 高速で戻った「大返し」は、なぜ実現できたのか?
 莫大な国家予算を投入して建造された戦艦大和は、
 なぜほとんど出撃しないまま沈没したのか?
 エンジニアが「数字」を駆使して謎に迫る!”

著者は【はじめに】で次のように述べています。
“さきほども言いましたが、筆者は船の設計者であり、歴史の研究家ではありません。したがって、歴史研究の本道とされている文献や古文書を読んだり、取り扱ったりすることについてはまったくの素人です”(6p)

目次は次の通りです。

 はじめに
 第1章 蒙古軍はなぜ一夜で撤退したのか
 第2章 秀吉はなぜ中国大返しに成功したのか
 第3章 戦艦大和は「無用の長物」だったのか
 終 章 歴史は繰り返される

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著者がエンジニアの本領を発揮した見事な論証(推理)を【第1章 蒙古軍はなぜ一夜で撤退したのか】から書き出します。
ア.蒙古軍の規模が通説どおり「大型軍船300隻、小型上陸艇300隻、水汲み艇300隻の計900隻だったのか」の論証:
  軍船建造に必要な木材と森林面積(24p)、軍船建造に必要な大工と人夫の数(26p)、蒙古軍船を図面で復元(29p)
  これらの理詰めの計算から、割り出した蒙古艦隊の実際の陣容は大型・中型の合計で約300隻と推測(37p)
  そして、船に乗れる人数から、蒙古軍の総勢(戦闘にあたる兵士)は2万6000人と結論。
イ.蒙古軍の体力についての論証:
  鎌倉武士団の迎撃態勢(41p)、蒙古軍が対馬海峡横断を横断してくるシミュレーション(44p)から、「蒙古軍は船酔いで体力が低下していた」(47p)と結論。
ウ.文永の役の論証:
  蒙古軍が船を停泊できる場所を博多湾の水深から割り出す(60p)、停泊した場所から上陸地点を出す(64p)、その結果、「蒙古軍は一部しか上陸していなかった」(65p)と結論。

第2章、第3章、終章からは印象に残った文章を2つずつ引用します。

【第2章 秀吉はなぜ中国大返しに成功したのか】《中国大返しまでの状況》から、筆者の疑問。
“しかし、かねてより筆者は、こうした(中国大返しの)通説に疑問を抱いていました。
 この行軍の移動距離や、兵士と軍馬の数、必要な物資、気候や地理的な条件などから客観的に考えて、この日数でこの大軍がこれだけの距離を移動することは、かぎりなく不可能に近いと思われたからです”(99p)

【第2章 秀吉はなぜ中国大返しに成功したのか】《不可能を可能にするシナリオ(1)》から。
“行軍する兵士の人数、行軍期間、行軍距離といった設定をできるだけ変えずに、中国大返しを実現させるシナリオは、筆者が考えるかぎり一つだけです。じつは中国大返しが、事前にかなりの準備をしてから行われた作戦だったということです”(124p)

【第3章 戦艦大和は「無用の長物」だったのか】《米国戦艦が抱えるハンディ》から、当時の米国が大型戦艦を持てなかった理由。
“こうして米国を仮想敵国とした日本海軍は巨大戦艦を計画し、戦艦大和の建造へと向かっていくのですが、その背景には、理にかなった思惑もありました。
 東で大西洋、西で太平洋に面している米国は、どちらの海にも展開できる海軍を持つ必要があります。
 そのためには、戦艦はパナマ運河を通過しなくてはなりませんが、運河の幅は33.5mで、戦艦が通るときには運河の両側から機関車で索引するため、長さ約274m(900フィート)以内、幅約32.3m(106フィート)以内と制限されるのです。
 主力艦が搭載する主砲の口径は、設計上、戦艦の長さと幅によって大きさが決まりますが、米国の戦艦はこうした理由から、主砲も41cm(16インチ以内)に抑えなくてはなりません。(略)
 もしも(日本海軍の戦艦の)幅を38mくらいに広げると、46cm(18インチ)砲が搭載可能となります。すると前述したように威力が41cm砲の1.4倍にもなり、到達距離も大きくなって、攻防ともに圧倒的に有利になります” (165p)

【第3章 戦艦大和は「無用の長物」だったのか】《大和は「無用の長物」だったのか》から、
“前述したように、1944(昭和19)年6月のマリアナ沖海戦のときはすでに、日本の航空部隊は搭乗員の練度不足と、米軍が開発したレーダー、そして電子信管によって長い航続距離を飛んで攻撃することは不可能になっていました。
 つまりアウトレンジ戦法の緒戦で必要な、敵の戦力を少しずつ削る「漸減」はもはやできなくなっていました。にもかかわらず日本軍はアウトレンジを金科玉条のごとく墨守し、なおも大和を温存しつづけたのです”(202p)

【終 章 歴史は繰り返される】《歴史は繰り返されている》から。
“リアリティの欠如、目的のために最適化されない手段という問題は、大和の没後75年たった現在の日本でも、なお解決していないと思われます。
 新型コロナウイルスへの政府の対応の、論理的一貫性のなさは、まさにそのあらわれです。
 いま本当に打つべき対策は何かを考えることに力を集中されていないと、最も避けるべき兵力の逐次投入のように、感染制御も経済対策も効果があがらないことになります”(232p)

【終 章 歴史は繰り返される】《大和は2度沈むのか》から。
“最後に、日本の最大の強みが失われつつあるという話をしておきたいと思います。
 いま、世界の国々は科学教育に真剣に取り組みはじめています。米国では、日本を意識して国家プロジェクトとして理数科教育に注力していて、英国でも数学教育が重視され、中国では「科教興国」(科学技術と教育によって国を興す)が宣言されました。韓国、台湾、シンガポール、インドでも理科教育重視を打ち出し、IT先進国をめざすことが国民的目標になってきています。
 この間、日本は何をしていたでしょうか。なんと、理科教育の時間を大幅に減らしてきたのです。(略)
 このことは、これからの日本のものづくりに、ボディーブローのように効いてくると思われます。(235p)

読み始めた時は「なぜ科学系を扱う講談社ブルーバックスから歴史本が?」と思っていたのですが、読み進めるうちに疑問は氷解しました。
まさしく、科学の本でした。

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播田 安弘(はりた・やすひろ)
1941年徳島県生まれ。父は造船所経営、母の実家は江戸時代から続く船大工「播磨屋」の棟梁。
艦艇の設計を夢見て三井造船(当時)に入社、大型船から特殊船までの基本計画を担当。
半潜水艦型水中展望船、流氷砕氷船「ガリンコ2号」、東京商船大学(当時)のハイテク観測交通艇などを開発、主任設計。
東海大学海洋学部で非常勤講師を八年間勤め、この間、2008年、日本初の水陸両用バス「LEG-END零ONE号」の船舶部分を設計。
定年後は船の3Dイラストレーションを製作する「Ship 3D Design 播磨屋」を主宰。
2019年公開の映画「アルキメデスの大戦」では製図監修を担当、戦艦大和などすべての図面を作成。

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