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2021年09月07日18:42

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人の道、車の道、芸の道

私の職場は、ほぼ3年おきに転勤がある。
転勤の都度、勤務先が自宅近くなら徒歩か自転車、交通の便のいい職場なら電車かバス、それ以外なら自家用車と通勤手段も変わることになる。

このところは、コロナ禍の感染防止対策のため、公共交通機関での出勤を避けることからも、自家用車での通勤が続いている。

ところで、若い頃は独身でアパート暮らしのため、ある程度大きな音量で音楽を聴くには車内で聴いたり、そのために純正装着のカーオーディオを取り外して高級メーカーのオーディオ機器に買い換えたり、彼女ができたらこんなBGMを車内でかけてムードを醸し出すんだ、なんて意気込みの妄想カセットテープを作ったり(^^;、あるいは一人カラオケルームになったりと、車と音楽は切っても切り離せない関係にあった。

ところが、この頃は車内で音楽を聞くことが、すっかりできなくなってしまった。

車の運転とは、社会システムの規範、道理に隷属することそのものに他ならない。
そこには、あらかじめ線引きし敷かれた路上を走る、左側通行・赤信号遵守、制限速度などといった、個人の自由を規制する絶対的なルールが存在する。
運転者ごとに、行き先も違えば目的も到着予定時間もバラバラだ。
当然みな、自分の都合を優先したがる。
絶対的なルールが存在しなければ、道路は利害が交錯した無法地帯、闘争地帯となってしまう。
そこで、個人の自由を規制する絶対的なルールが必要となる。

「道路」、そこはまさに規格化された社会システムや、「道の理」すなわち「道理」といったものが典型的に現れる世界だ。

一方、芸術世界はその規格化された社会システムに対し、真っ向から真逆のものとして存在する。

「芸術とは,最も美しい嘘である」〜ドビュッシー
「芸術とは,われわれに真理を悟らせてくれる,嘘である。」〜ピカソ
「芸術上の現実性とは非現実のことであり、言葉では補えない多層な表出性をもつべきものだ。」〜武満徹
「この世は不完全です。だから芸術があるのです」〜ファジル・サイ

多くの芸術家たちが,現実世界と,そしてそれと対峙する非現実の時空世界である芸術世界を,このような言葉で対比的に喩えてきた。

彼らが「嘘」と表現する不条理なものがほしくなるのは,あまりに「道理」にとらわれ過ぎている,一見秩序ある社会システムで構築された現実世界の中にあって,自己を保つ上で,健全な欲求であると思う。

同じ時間の長さでも,それを長く感じるか,短く感じるかは,ダリの溶けてゆがんだ時計のごとく,人それぞれだ。
そしてその時計で計ることのできる現実時間とはかけ離れた,我を忘れるような感動の時間の中にいるときこそ,生きているという実感や本質を見いだしたような気持ちになる。

芸術とは,このように,私たちの住む,この一見秩序あるかのように見える社会システムに,それと対峙してパラレルに存在する別の時間と空間を持った異質の世界ではないかと思う。

そして、すぐれた芸術の持つ力とは、生きづらさに満ちた現実世界では忌避されるべき不条理が,矛盾なく調和し,条理の世界であるこの現実世界では姿を隠して潜んでいるものを、作品の中に表わすことによって、存在するすべてのものを矛盾なく調和の取れたものに変えてしまう力なのではないだろうか。

この規格化された現実世界の中で、私たちは一時でも現実の憂さを忘れ,「今,ここではないどこか」へと連れて行ってくれる,いっときでも現実を忘れ夢を見せてくれるかのような芸術を求めるのだ。

芸術作品は,こちらの現実世界と,あちらの世界との間の結界になる。
芸術家は,美しい声を持たない私たちの代弁者でもあり,私たちが芸術を希求するのは,そこから先の,憂さと困難に満ちた現実界とは全く別にパラレルワールドのように存在する「あちらの世界」へ一時でも足を踏み入れたい,願わくばそちらの世界に取り込まれたい,そんな希望とも諦念ともつかぬ思いから出づるものなのだろう。

文化,芸術は、この世界が完全にシステム化されてしまうのを、この世界が,そして私たちの生が,歯車のように単なる物質に化してしまうのを未然に防いでいる。

車の中で音楽を聴こうものなら、瞬く間にその芸術世界にまず耳と心が奪われてしまう。
そして次に、「この和音進行はどうなっているのだろう?」とか、「この主旋律とこの対位旋律はどのように絡み合っているのか?」やら、「この楽器の音色とこの楽器の音色が溶け合う瞬間の美」だの、頭までが持って行かれてしまう。
路上の物流システム、社会の1パーツとして存在することを拒み、いともたやすく日常の社会システムの規範や道理を逸脱してしまう。

なので私は、とても車内で音楽など聴けたものではない。
こんな状態ではとても危険で仕方が無い(^^;

それよりも、車を運転している時は、エンジンの吹き上がる音、タイヤがしっかり路面を捉える音、車体が風を切って進む音、それらの音を聞いていたい。
天気が良ければ窓を開けて、季節ごとに移ろう車窓からの風と景色を感じていたい。
そして社会システムの条理にとらわれた路上、まさに「決められた道」の上を走るときにあっても、人馬一体となった操縦感覚や、誰の手にも意志にもよらず、自らの手と足で運転しているという感覚を大事にしたいと思う。

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