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2021年08月16日17:24

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空間を切り裂く音の衝撃、そして世界の創造 〜改めて聴く武満徹”November steps”

没後25年、改めて「武満徹」の名を世界に知らしめた”November steps”を聴いてみた。

”November steps”は日本の伝統楽器である琵琶、尺八に対し、西洋音楽の代表格であるシステムであるオーケストラと競争、協奏、あるいは狂躁させ、両者が共存し、かつ闘争する、未聴の音世界が展開する唯一無二の楽曲である。

西洋音楽(及びその影響下にあるポピュラー、ロック、ジャズなどの音楽も含め)では、一つの音が、作曲家が作品を想像する「素材」として使用され、その音ひとつひとつ自体には意味を有さない

言語は正確性を持つからこそ他者に正確な意図を伝達できる。
言語のそれぞれのパーツ(音節)が多義性を有していては、正確な伝達を行うことはできない。
言語と同様に音楽も、例えば、ベートーヴェンの「運命」の動機「ジャジャジャジャーン」:ソソソミーは、その4つの音がまとまって全体でひとつの「運命が扉をたたく音」を表現する。
「ソ」は「ミ」との相対的な関係によって、はじめて意味を持つ。
単独の「ソ」だけでは、音楽として成立しない。
「ソ」の音も「ミ」の音も、ベートーヴェンが「運命の動機」として表現したかった「ジャジャジャジャーン」を構成するパーツとして存在する。

一方、邦楽の「音」は、それ自体単独ではなにものも主張し得ない一つのパーツにとどまることをせず、ひとつの音それ自体が世界を築きあげる。
人知れずむせび泣くかのような尺八の「むら息」、情念を掻き立てられるかのような琵琶の弦をかき鳴らす音。
むしろ、西洋音楽では「ノイズ」として排除された要素にこそ、奏者の生命を、情念を移し変えたかのような音の命が宿る。

“November steps”は、ニューヨーク・フィルハーモニック創設125周年記念作品として、アメリカはじめ諸国の作曲家に創作が委嘱された楽曲の一つである。
既にNHK大河ドラマ『源義経』や、映画『怪談』等で、邦楽器を大胆かつこの映像にはその音色しかあり得ないという使い方を自らの手中にしていた武満徹は、単に映像の劇伴音楽としての邦楽ではなく、純粋な器楽曲として琵琶と尺八を起用した作品「エクリプス」を創作。
当時、武満徹の楽曲の初演を手がけるなど彼と交流のあった、若き日の小澤征爾(当時、ニューヨーク・フィルの副指揮者でもあった)の紹介により、同フィル音楽監督のレナード・バーンスタインが耳にしたこのエクリプスを、バーンスタインが非常に気に入ったことから、武満に作曲が委嘱されることとなり、1967年11月(November)、小澤の指揮によるニューヨーク・フィルハーモニックの演奏で初演が行われた。

オーケストラと和楽器の共演とはいえ、それは例えば都節の旋律をオーケストラに演奏させる、あるいは西洋音階のフレーズを和楽器で演奏するといった、単なる両者の安直なブレンドではない。

両者は、融合、というよりは、むしろセザンヌの静物画の果物と花瓶のように、あるいは、モンドリアンやカンディンスキーのコンポジションのように併置して配置される。
そして両者は激しく屹立し、対峙する。
調和、融合を目指したものではなく、2つ並べて併置されたものが、互いにそれぞれ存在を主張する、にらみをきかせる
決して安易な調和、融合を目指すものではない。
両者は,決して調和して共鳴する和声の響きや,リズムの同期を見ることはない。

空間を裁ち切り、切り裂くかのような鋭い尺八の音色、振り下ろされる琵琶の撥さばき。
和楽器は天空を切り裂くかのごとく突如として堕ちてきた、まばゆく鋭い火球の音と光の衝撃のように、西洋音楽として確立されてきた調性音楽と機能和声の世界をゆるがし、鋭く激しく分断する。

空間に打ち込まれ、刻み込まれたくさび。
矛盾する言い方だが、空間を切り裂く音があるから、沈黙あるいは間(ま)が認識できるのだ。
茫洋と広がる空間の一部をグッサリと切り裂くことで、そこに一定の質量(質と量)を持つ空間が生まれる。
そして音と音の間に沈黙、間が生まれる。
無から有を生み出すようなものである。

武満は言う。
「音楽の根源は、具体的な音だと思う。この世に無数にある具体的な音です。僕はそれを『音の河』と表現しますが、無数の具体音で充満された音の河が、昼夜をおかず蕩々と流れ、固有の命と質を持っている。音楽はそういう生命を持った音で作らなければならない。音の河の中から聴くべき音をつかみ出すことが作曲だと思うんです」と。

音の河からつかみ出された、和楽器によって分かたれ、創造された「音世界」、
尺八と琵琶の激しく鋭い一撃によって分かたれた、音と音の間の沈黙、そこは決して空疎な空間ではない。
空間を満たす濃密な「気配」で満たされた空間だ。
「沈黙」は決して必ずしも「音の無い」状態なのではない。
例えば映画のワンシーンで、見つめ合う2人。そこには耳で聞こえる音はなくても、そこに充満している気配がある。豊かな情感で満たされている空間。

さらに聴き進めていると、時々、天空を切り裂くまばゆく鋭い火球の衝撃のように空間を切り裂く音が、和楽器によるなのか、それとも西洋楽器の放つ音なのか分からなくなる一瞬がある。
その瞬間、同じ空間と同じ音が、西から東へ、東から西へ受け渡されるように
ただそれは、意図を持って橋渡しされたものなのか、それとも偶然のものなのかは分からない。
私には、世界各地の神話が、人種や民族で異なるようでいて、実は根っこの部分では共通の世界観を持つというエピソードに似ているように思える。

和楽器と西洋楽器は,全く無関係に存在するようでもあり,また真っ向から反発し戦いを挑むかのようでもあり,あるいは,コミュニケートを取ろう,ともに響き合おうと呼びかける音のようにも聞こえる。

両者は、池の中に、不意に投げ込まれた小石の二つの波紋。
時に反発し、時に干渉し、互いに影響、触発され波紋を変化させつつも、時空を共有する波となって水面を広がっていく。

彼の言葉を引用する。
「私は―言葉に限らず自身の音楽について考えるのだが―それは<沈黙>と測り合えるほどに、強い少ない音であるべきなのである」
彼が沈黙と測り合えるのは「音楽」ではなく「音」としている点に注目しなければならない。

人知れずむせび泣くかのような尺八の「むら息」、情念を掻き立てられるかのような琵琶の弦をかき鳴らす音。和楽器の、まばゆく鋭い火球のごとき音と光の衝撃、それは「音楽」というよりは「音そのもの」が持つ質感、手触り、あるいは「耳障り」ではなく「耳触り」というようなもの、耳で感じる触覚にたどりつく。

私たちは、ここで、”November steps”の持つ、具体的な楽器音としての音:「聴覚」と、そして音そのものの質感:「触覚」に身をさらされることになる。

「聴覚」そして「触覚」に加えて、知覚・感覚を刺激するもの、それは「視覚」。
耳がとらえた「聴覚」「触覚」そして「視覚」。いわば、耳で聞く「視覚」。

渾身の息を込めて吐き出される尺八のかすれた音、情念をかき鳴らす琵琶の一擲。
暗闇の中でその和楽器が演ずる、空間を切り取る行為、そして切削された空間を満たす行為に、あたかも光を当てて可視化し、まるで映画や舞台の照明のように、視覚に訴えるのが、オーケストラのパートである。
「調性」そして「機能和声」と、既存のシステムでは行き詰まってしまった西洋音楽の残照が、和楽器の行為を、なまめかしく、そして非情に光を当てる。

「調性」そして「機能和声」といったシステムで構築されてきた西洋音楽の限界。
それをごく簡単に言うなら、ドレミファソラシと旋律を並べたとき、「シ」は「ド」に帰りたいという、「ド」からの強い引力に引きずられるということ。

音楽の授業の冒頭、「ド→シ→ド」:「起立→礼→着席」の音型と和声進行を思い浮かべると、「礼」で、身体を不自然にかがめた状態は、緊張をはらんでいる。そのままではいられない、どうしても「着席」の状態に帰りたい。
この「緊張」と「解決」こそが、西洋音楽にドラマの流れと推進力をもたらしてきた。
起立:トニック(主和音)→礼:ドミナント(属和音)→着席:トニックという和声の進行、あるいは、4コママンガの「起承転結」の流れ。
起:トニック→承:サブドミナント(下属和音)→転:ドミナント→結:トニック。
「起立―礼―着席」、の例で言えば、サブドミナントを、起立と礼の間の「脱帽」と考えると、わかりやすいかもしれない。
「起=起立=トニック」→「承=脱帽=サブドミナント」→「転=礼=ドミナント」→「結=着席=トニック」という流れ。

全何10巻にも及ぶようなどんな長編の大河ロマンのマンガでも、基本はこの「起承転結」のドラマの進行と流れから成り立っている。
「起」の中に「起承転結」が構成されていたり、起からスムーズに承に移行するのではなく、うんと遠回りする、あるいは「起」の中でひっそりと提示されていたエピソードが、転の中では重要な事件となり、結でその伏線が回収されるといったように、和声の進行がドラマの緊張と推進力を生む。
そして調性の引力に導かれ、緊張は解決というしかるべき状態に帰結する。
この一連の流れが、音楽のドラマの進行となり、音楽はシステマチックな構成を持つ構造物として作られる。

それは、クラシック音楽に限らず、クラシック音楽の堅苦しさを排したかのように思えるロック、ジャズ、ポピュラー音楽の作り方についても言えることだ。

肥大化して絶滅していった恐竜のように、この調性システム、機能和声システムによって構築された西洋音楽も、他のあらゆるシステム同様、長大化、肥大化、複雑化し、19世紀末から20世紀初頭にかけては限界を向かえつつあった。

この過程は、かつてあった青少年向け自転車の進化と絶滅の黒歴史を思い起こさせる。
スーパーカーブームのあおりを受け、自転車にも車と同様の装備、開閉式ライト、多段変速、バックミラー、派手な電飾といった装備が次々に装着されていく。
他社製品と競うかのように肥大化するその装備品の重さに耐えきれず、やがて重戦車のごとき状態にまで肥大化した自転車は、余計な装備を一切かなぐり捨て、軽量、シンプルに突然変異した「カマキリ」(ハンドル、フレーム、車輪といったシンプルなパーツを曲線でつなげるその無駄を排したスリムな造形が、カマキリに似ていたことからのネーミング)という車種の登場をもって終焉を迎える。
 
西洋音楽界にあって、「カマキリ」のごとく現れたのが、ガッチリと構築され身動きがとれなくなった重苦しいシステムを脱ぎ払うかのような無調、十二音技法と言われる音楽構築の手法である。
調性の引力を振り切るかのように、強大な引力に逆らっても、人は宇宙を目指す。
天の神の座を目指さずにはいられない。
なぜならそれが人という存在だから。

無調の音楽とは、簡単に言えばドレミファソラシ、の後に、「ド」が来なくても良い、ではなく、ドが来てはいけない音楽のことである。
ドとシ、あるいはドとレ等、一切の音程の関係に優劣を付けず、1オクターブ内の12等分された音高を完全に等価に取り扱うことで、緊張と緩和による調性システムが生み出す音楽のドラマの進行を否定し、新たなそして未聴の音づくりを目指そうとした。
創設者のシェーンベルクは「十二音技法で、今後100年はドイツ音楽の優位が保証されると思う」と述べた。

しかし、この引力を振り切って自由な音世界、音空間の創造を目指したはずの無調、十二音技法は、すぐに限界を迎えることとなる。
無調の音楽とは、旋律の次にどの音が来るか、和声進行の先にどの音が来るか、全く分からない未聴の響きを目指したものだが、それは行き着く先、たどり着く先が見えない(あるいはたどりつくことを拒絶する)音の無重力、無法地帯。
12の高さの音を完全に等価に扱う、一度使った音は二度と使用しないとなると、自ずと旋律(音列)のパターンは限られた物になってしまう。そこで、その音列に逆行、反行などの処理を加える(音列を2回目に奏する際には音列を逆から弾く、あるいは上がった音程は下げるなど)ことによって音楽を創作する。

更に、第二次大戦後には、音程関係の優劣のみ否定した十二音技法からさらに、音程以外の音のいかなる優劣関係をも排除することを目的としたトータル・セリエリズム(総音列主義)まで派生する。
リズム、強弱、テンポ、音色など、音程以外の音の要素にまで、一度使ったものは二度と使用しない(一度使ったものの反復は、その優位性を示すものであるから)トータル・セリエリズムは、今私たちが「現代音楽」と聞いて思い浮かべる、あの奇妙キテレツ、音楽かそれとも雑音、騒音なのか区別付けがたいものをイメージしていただければ、およそ想像が付くものである。

調性、機能和声システムの呪縛から解放され、調性の引力から解放され自由な無重力を目指したはずが、逆に自らの存在を保つために、規則や書法の制約で身動きの取れなくなった現代音楽。 
そもそも鑑賞者に対し、言葉では伝えきれない「何か」を伝えるのが芸術の役割だとしたら、相手に伝わることを拒絶するかのような現代音楽に対しては、当然のことながら、この状態はもはや音を使って何かを表現する、聴き手に語りかけるコミュニケーション可能な芸術としての音楽とはいえないのではないか、という批判もあり、聴取と知覚の困難さが指摘されている。
十二音技法、そして無調音楽も、それ自体が批判し乗り越えようとした、調性、機能和声システム同様、袋小路にはまって抜け出せなくなってしまったという、なんとも皮肉。

”November steps”は、そんな音楽の限界に対し、無重力の異空間の天空から突如、地上に天空を切り裂くかのごとく堕ちてきた、まばゆく鋭い火球が大気そして地面と衝突して引き起こされる大爆発の衝撃。
それまで繁栄を誇っていた恐竜を絶滅せしめた強く計り知れない衝撃である一方、そしてまた同時に、現代音楽の音の無法地帯、無重力地帯の中にあっても、むしろ既存の調性、機能和声の呪縛を解かれたからこそ存在しうる、美しく構成された箱庭のように展開する音の小宇宙。

立ち上る朝日、そして夕焼けの空の色のグラデーションは、決してトニックやドミナント、あるいは遠近法や明暗法を表現するために存在するのではない。それでも、私たちは機能和声だの明暗法だの予備知識を知らなくても、鑑賞法という名の呪縛をなくして直感的・直観的にその美を認めることができる。

そんな武満の音楽に対し、「前衛音楽のトップランナーたる武満たる者が、安易にジャポニズムに回帰するとは何事だ!」と難癖をつけて突っかかっていったのが、まだ学生時代の無名で血気盛んな若き日の坂本龍一だった。
もっとも、坂本はこれについて後日「本当は好きで信頼している先生に、わざとつっかかっていく学生のようなものだった」と述懐している。

武満の楽曲が演奏されるコンサート会場の入口で、武満徹を糾弾する旨の青臭い中傷ビラを配っていた坂本の前に、当の武満本人が現れる。
まさか本人が出てくるとは思わず、へどもどしながら「どうして、和楽器を取り入れようとしたのですか?」と訊ねる、どこの馬の骨ともしれない若造だった当時の坂本に対しても、武満はきちんと自らの趣旨を説明したうえで、「私は武満教の教祖にして、唯一の信者である!」と言い放ったそうである。

私はこの言葉に、血気にはやる生意気な若造を諫める、年長者からの単なる一喝だけではないものを感じる。
「西と東、過去と現代を超越し、自らが新たな音世界・音空間の創造主たらんとする」という気構えを、自らに投げかけ問うているような気迫と覚悟を。

ふたたび、彼の言葉を引用する。
「できれば、鯨のような優雅で頑健な肉体をもち、西も東もない海を泳ぎたい。」

彼の作り出した「音世界」に、耳を開き身体を委ねるとき、
私は、調性の引力を振り切った宇宙よりも、様々な音の河が注ぎ込む音の海へ、東の音の島々、西の音の島々を巡る航海に船出したような気持ちになる。

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