イエスが祝ったような魂の結婚、恋愛は旧約聖書の詩編や雅歌にたくさんあります。古代ユダヤ民族は精神性が豊かだった事が判ります。やや遅れますが、日本の万葉集にもたくさんありますね。古代朝鮮・同中国やインド、ヨーロッパにも実際は沢山ありました。存在するだけで愛と感謝という。
でも、封建制になり、男女縁は家や国の政略のために利用され、狂い始めた。女が男に尽くすのが愛とされるように。家柄で相手を選ぶとか。差別も生み始めた。封建制が崩れた後は、資本主義・お金が愛を歪めたわけです。性も。その後も尽くし=愛とほとんどが思っている。それでは身障者や盲人は愛に不利になるわけですが、その身障者たちもそのような意識が入り込んでいるようです。筋ジストロフィーを持つ身障の鹿野氏が、尽くしてくれる女性に求愛した様子の映画は端的な例ですね。
いかなる愛を求めようが、本人の問題ですが、ただし、「尽くしてくれる」とか「何かしてくれる・与えてくれる」のが愛と思い合っている夫婦や恋人は幸福にはならないわけです。離婚とか、不幸な恋愛が世界的に多いわけですよ。それも資本主義が更に壊れれば、変わってくると思います。変わるならば、人々が心の幸福を得られる恋愛形態になってほしい。それが旧約聖書の恋愛の復活か、どうかは僕には判りませんが。
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