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2021年05月26日01:59

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コイのコイ 命あるものの戯れ

 行きつけのクリニックと調剤薬局へ行き、薬をもらった。そのまま帰ろうかとも思ったが、ここしばらく、家にこもりっきりでほとんど歩いていないことに気づき、少し遠回りして帰ることにした。
 
 春夏秋冬、よく通る水辺の道を行く。水があるということはどこか潤いを感じさせ、ホッとするものがある。その上、水辺の小動物などに出会うと、嬉しくなったりもする。

 もうその時期は過ぎたが、カルガモをよく見かけるのもここだ。シラサギは年を通してやってくる。時折、カワセミに出会うこともある。
 珍しいところでは、ヌートリアにひょっこり出会ったりもする。

 高度成長期には、垂れ流しのドブ川になったこともあったが、いまは回復し澄んだ流れになっている。ここは、岐阜の中心部から南下した断層のようなところを横切っているから、自然湧水もあるはずだ。だから、人為的に極度に汚染されなければ清流を保てるはずなのだ。

     https://www.youtube.com/watch?v=I3heYuFZDI4

 流れは浅いが、ところどころに淵があり、魚類はそうした箇所に群れたりする。いつもの散策コースにはそうした箇所が二,三ヶ所ある。そのひとつで、鯉のつがいを見つけた。大きい方は五〇センチに近い。小さい方もそれに数センチ劣るのみだ。

 ときどき、じゃれ合うようにしながらも、悠然と泳いでいる。もちろん、私が数メートルの距離にいることをじゅうぶん知り尽くした上でのいちゃつきだ。
 チクショウ、ネットで公開した上、「週刊文春」にチクるぞ、と脅しをかけるが動じるところはない。

 しばらく眺めていたが、見せつけられっぱなしはシャクなのと、どうも空模様が怪しくなってきたので家路につく。
 いいタイミングであった。それから十数分ほどで家にたどり着くや、ザーッとひと降りがあった。

     https://www.youtube.com/watch?v=zzjW6MFoUN0

 鯉たちは、しっぽり濡れていることだろう。
 彼らを観ていて、この歳にしてはじめて知った情けない事実がある。新暦、旧暦を問わず、この時期の節句をなぜ「鯉の節句」というのか。そう、この時期こそまさに彼らの生命力が謳歌されるときなのだ。

 じつは、「身内」に関する悪い予兆のような知らせがあって落ち込んでいる。それを抑え込むようにしてこれを書いてる。
 生命を謳歌するものたちもいれば、その終焉を迎えようとするものもいるわけだ。










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