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2021年04月19日16:04

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ラウルの死とキューバ、そしてわが弁士としての経験

 キューバ革命を成し遂げたフィデル・カストロ(1926−2016)の実弟、ラウル・カストロ(1931ー2021)が亡くなったという。私のなかでは、何か一つの時代の終わりを思わせる出来ごとである。

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 キューバ革命が成立した1959年には、私はすでに、ソ連や中国の体制に疑問をもっていたが、このわずか12名のシェラ・マエストラ山のゲリラから出発した革命の成功には、なにか新しい展開が期待できるのではないかと思わせるにじゅうぶんであった。

 当時、愛知県学生自治会連合(県学連=全学連の下部組織)の役員だった私は、キューバ革命のキャンペーン活動ともいえる催しを展開したことがある。1960年か61年だったと思う。
 いまは、百メートル道路となっている箇所にあった旧・名古屋タイムスの講堂で行われたその催しは、二部からなっていた。

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 その一部は、キューバ革命に関する講演で、講師は当時東大の大学院に所属していた香山健一氏(1933−97)であった。
 彼は、1958年、全学連の第11回大会で、それまで日本共産党の一元支配だった全学連がそれから離反する際の委員長で、その大会は、日本においての大衆的な新左翼運動の黎明を告げるものであった。

 その後香山氏は、学習院大学の教授となり、やはり戦後左翼の論客だった清水幾太郎(私もその急進的なアジテーションを聞いたことがある)と歩みをともにするが、日本における未来学(一時期の影響に終わってしまった)の担い手といわれたことなどもあってその政治的立場を変更し、清水氏ともども自民党政権のアドバイサー的な存在になった。

 話を戻そう。
 香山氏の当日の話は、キューバ革命が起こらざるを得なかった情勢の分析と、それに果敢に関わっていったカストロたちの偉業についての追体験的まとめであった。

 そしてその第二部は、キューバ革命の記録映画であった。タイトルがなんであったか記憶がないので、いろいろ検索してみたが、今となってはこれと特定することはできない。
 モノクロのサイレント映画であった。しかし、これには台本がついていて、誰かがこれを読み上げるといういわゆる弁士付きの無声映画だったのである。それがわかったのは、当日、会場においてであった。

 もってきたのは講師の香山氏であったが、俺は講演で手一杯だから誰か弁士をしてくれとのこと。さぁ・・・・ということになったが、その前年ぐらいまで演劇部に籍があったお前がやれということで私に丸投げされることとなった。たしかに、演劇部に所属はしていたが、演出志望でセリフは口にしていない。ただし、高校時代は主演級で舞台に立っていたのでそれを思い起こし、蛮勇を振るうこととなった。

 とはいえ、ぶっつけ本番のリハーサルなし、映像そのものもその時はじめて見るもの。舞台裾で映像を見ながらなんとか読み進むのだが、誰もキューを出してはくれないから出だしもよくわからず、画像を見ながらこの辺かなというところで語りだす。
 画面とせセリフがずれたり、つっかえたりしたかもしれないが、なんとか最後まで読み終えた。

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 終わった途端にほとんど満席状態の客席から盛大な拍手が・・・・。ただし、これは私の熱演に対してではなく、映像に描かれたキューバ革命の素晴らしさに対してだった。
 この私はといえば、支障なく台本を読み上げることに夢中だったせいで、その映画の内容すらほとんどわからないという始末だった。
 
 その段階では、ゲバラはまださほど強調されていなかったと思う。彼が注目されたのは、「革命の輸出」のため、革命後のキューバで約束された支配的な地位をなげうって、新しい試みに身を投じてからであったと思う。

 これが、私とキューバ革命の出会いであったが、ラウルの死に直面して、それを懐かしく思い出している。
 ところで、56年のハンガリー事件以来、さらにはソ連邦の第20回共産党大会でのフルシチョフの秘密報告以来、ソ連や中国を中心とした社会主義勢力に疑問をもち続けてきた私だが、キューバ革命に対してはかなり暖かい目を注いできたと思う。

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 アメリカの経済封鎖によって、危機に陥っていた革命キューバ支援のため、1960年代の後半から始まった山本満喜子さん提唱の、“サトウキビ刈り青年隊”も面白い試みと思ってみていた。
 ケネディ時代のキューバ危機などで示されたように、そのキューバもまた、大きな枠組みではソ連圏に属していたが、スターリンが示したような、また中国の文革が引き起こしたような、人びとを過度に抑圧するような大きな悲惨はなかったのではないだろうか。

 経済的には貧しく、1950年代の車がいまなお闊歩するなか、陽気なキューバン・ミュージックが街に溢れているのは、やはり、教育や病気の治療が無料というベーシックなセーフティ・ネットによって共同体が支えられているからかもしれない。

 ただし、私の杞憂かもしれないが、そのキューバにも危機が迫っているように思う。それは他ならぬアメリカとの国交回復、経済封鎖の解除の影響である。これまでは、資本主義的発展から取り残された地点でそれなりに頑張ってきた。しかし、今やグローバルな資本の運動にさらされることとなり、その影響は避けられないのではと思うのだ。

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 中国などのかつての後進国が、その開放政策によりグローバルな資本戦争のただなかに放り込まれた結果がそうであったように、まずは商品の氾濫と消費社会の一般化、それに当て込んだ生産や流通の起業家の頻出、資本の要請による各種規制緩和とこれまで商品化されなかった福祉関連や医療関連の分野の資本主義的貨幣経済への繰り込み、これらの結果としての貨幣=資本の絶対化などなどが急速に進むのではなかろうか。
 
 これらの帰結のひとつが貧富の差の拡大である。
 それにより、「貧しいながらも最低限は保証されている」ことによる楽天的生活観は、貨幣への限りない欲望にとって代わられるのではないか。それはまた、意識するとせざるとに関わらず、他者との競争を余儀なくされる神経戦の普遍的展開でもある。
 これにより、従来の楽天的態度の継続や、競争社会からの離脱は、ドロップ・アウトした敗者として扱われることとなる。
 経済的強者たちの苛烈な競争戦と弱者たちの救済なき悲惨・・・・。

 これはあくまでも予測に過ぎず(とはいえ歴史的前例をもつものではある)、こればかりは私の悲観的なそれが外れることを願うほかはない。


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