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2021年02月24日20:16

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「リスクへの対応方法を教える」ことこそ「教育」だ。

■小学校で広がる「あだ名禁止」 近藤春菜の的確なコメントが反響呼ぶ
(しらべぇ - 02月24日 12:51)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=6423677

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過去記事のリファイン版で。


キテレツ大百科に「ブタゴリラ」というあだ名で呼ばれている熊田薫というキャラがいるが、いじめの雰囲気にはなっていない。

つまり、「あだ名そのもの」が問題なのではなく、�,修譴鮓世錣譴訖祐屬�嫌がっているか?�⊆�囲が侮蔑を込めているか?の問題ということだ。

だからあだ名を禁じても「〇〇さん」「本名フルネーム」にしても、言う者が悪意を込めて呼ぶとか、言われるものが嫌がっていたらそちらが問題の本質だ。

個人的には「悪意をばらまく側に働きかける」よりも「被害者が悪意からダメージを受けないように鍛える」ほうが現実的だと思う。

悪いのは「悪意をばらまく側」に決まっている。なのに私は「悪意を受ける側」「性被害者」に変われと言っている。一見理不尽なのは認めるところだが理由としては2つある。

1つ目。問題を生じさせないために現実的で一番手っ取り早いのが「受け手のメンタルを強靭化すること」だから。

伝わらない悪意は屁でもない。また悪意が伝わっても平気で受け流す。すると悪意を込めた側はあきらめることもあるが、大半は悪意を伝えようとして「より強い悪意の表現」を用いる。ボクシングで細かいパンチをいくら当てても効果がないという演技をすると相手の攻撃が大振りになるのと似ている。

そこを反撃で叩く。つい過剰な表現になり言い逃れできなくして叩くのだ。

2つ目。悪意が込められているかどうかは一見判断が難しい。パワハラやセクハラと同じで「被害者側が悪意があると感じれば悪意がある」というのは横暴が過ぎやすいし、かといって悪意を込めた側が「悪意を込めました」と素直に認める可能性は低い。

そこで上記の「平気なふりして受け流し」から「相手の悪意の大振り」を誘い「反撃で仕留める」という流れに持ち込んだほうがよかろうというわけだ。こうして問題を根絶していくためにも受け手側に一定以上の耐久力が必要だ。

長々と書いたが「あだ名を禁じる」という方法にはあまり実効性を感じない。残念ながら悪意ある連中は多々あるイジメ方法の1つである「あだ名」を禁じたところで、別の方法で悪意を振りまくだけなのでほとんど意味がない。

程度の問題があることは認める。たとえば幼稚園児にエログロを見せるとか罵声を浴びせるとかではない。

ただ「この世は無菌室」ではない。

「致命傷にならず後遺症も残さず耐えられる程度の困難」というのは結果的に成長に不可欠な経験的な要素がある。

幼少期に「友達とのケンカ」やら「イヤなあだ名」やらを受けることで「ストレス耐性」や「嫌なことへの折衝の仕方」を少しずつ身に着けていくことが「健全な成長」なのではないか。「からかうあだ名」だけで直接致命的な事態になることは考えにくい。

貯水池などで子供がおぼれた場合、日本では塀や柵で囲い「立ち入り禁止」にしてしまう発想がメインだが、いたるところに水路があるオランダでは「着衣泳法」を教えると聞いた覚えがある。私がメインで伝えたいことは伝わるだろうか。

「リスクを防ぐ・遠ざける」ばかりでは教育要素が少ない。そして対応が間に合わない場合に致命傷になりやすい。

「リスクへの対応方法を教える」ことこそ「教育」だ。

子供たちが耐えられない致命傷、後遺症レベルにならない範囲で監視して防ぐのが教育者たちの役割だろう。

例によって「手段の目的化」で本質を見失ってるパターンです。理想はこの世から一切の不幸をなくすことだが、それは不可能だ。ならば「不幸に負けないこと」こそ教育すべきだ。あだなはいじめの1手段に過ぎない。そこに近視眼的な対症療法をしてるという。下手な達成感を得ている分、なおタチが悪い。
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