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2020年10月24日05:27

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日の丸ジェット機、三菱スペースジェットはついに飛翔の時は来たらず、事業化凍結の惨

 ついに来るべき時が来たか、という感慨である。日経新聞23日付け朝刊で特報された国産ジェット機、三菱スペースジェットの事業化凍結の一面トップ記事である。

◎6度の初号機納入延期という難航を経て
 MRJ(三菱リージョナルジェット)として2008年に事業化決定され、三菱重工が社業を挙げて開発してきた国産ジェット機が、ついに事業化凍結=中止となった。
 この間、開発は難航し、6度も初号機納入を延期してきた。今年2月に、その6度目の納入延期が発表され、5月にはスペースジェット(写真)の20年度開発費半減が発表されたから、曙光の無さは、かなりの確率で予想されていた。
 事業化凍結は、その延長上である。
 これまではアメリカでの型式取得の遅れを含めて、設計変更などに基づく技術的理由での難航だったが、今回は武漢肺炎パンデミックによる世界的航空不況が息の根を止めた形だ。

◎2600億円以上の巨額損失
 事業化を目指したのは、アメリカの地域航空で需要の多い座席数90席クラスの小型機だが、武漢肺炎パンデミックはその小型機需要さえも奪ってしまった。事業化しても売れず、大幅に赤字になると見込まれていたから、三菱重工も苦渋の決断を下した。
 三菱重工自体、本業の不振に加え、スペースジェットの事業化遅れの損失が加わり、20年3月期の連結決算で326億円の赤字、と20年ぶりの赤字を計上した。もう三菱重工には、スペースジェットを支えていく体力も無くなっていたのだ。
 だから今年5月には事業子会社の三菱航空機を含むスペースジェット関連の事業資産の価値をゼロ、すなわち無価値にする損失処理をした。これまでの開発費を含め、2633億円もの巨額損失処理をした。
 既にアメリカやヨーロッパの開発拠点も閉鎖している。

◎大空の王者ゼロ戦を生んだ三菱だが
 思えば日本は、戦争前までは世界最先端の航空技術を持っていた。三菱重工の開発した海軍戦闘機のゼロ戦(写真)は、大空に登場した数年間は、アメリカ、イギリス戦闘機をバタバタと撃ち落としていた。米英戦闘機パイロットは、ゼロ戦を見ると、顔面を蒼白させたと言われる。
 真珠湾奇襲攻撃の昭和16(1941)年12月から昭和17(1942)年3月まで、米英中国の合計565機を空中戦で撃墜ないしは地上で破壊したが、このうちゼロ戦だけで83%、471機破壊、という大きな成果を挙げている。
 少なくとも昭和17年後半まで、ゼロ戦は間違いなく敵無しの大空の王者であった。それほど日本の航空機技術は世界をリードしていたのだ。
 その開発物語は、例えばアニメ『風立ちぬ』にも描かれた。

◎技術陣の無念さ、痛ましい
 それを開発した三菱が……、と慨嘆せざるをえない。敗戦後、一切の航空機の研究開発が占領軍により禁止された空白の時が大きかった。1960年代の日本航空機製造により造られた双発ターボプロップエンジン旅客機YS−11の経験はあったけれども、である。
 日の丸ジェット機であるスペースジェットが復活する目はあるのか。事業化凍結だから、細々と研究開発は続けるだろうが、世界の大勢からは取り残される。復活は、厳しい、と言わざるを得ないのではないか。
 それよりも覚悟はしていたであろう、三菱重工の開発技術者たちの12年間の苦闘がいたいたしい。夢と理想を支えとしていただろうから、これからも士気を維持していけるのか――。

注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
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昨年の今日の日記:「安達太良山・裏磐梯紅葉の旅(後);裏磐梯も会津鉄道沿線も紅葉せず、残念な旅」

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