mixiユーザー(id:17922359)

2020年07月14日14:24

18 view

フェイスブック投稿から・独り言

高島平団地の子供たち、島田の身障園生たち、全生園の元患者たちと、どの場でもみな独り言ばかり。現代の状況では、それも当然。
  思い出せば、光明養護学校の僕のクラスも。小学の時は話が噛み合っていた。同じようなTV番組を見ていたから。子供の時は見る番組は限られますからね。特に、「ひょうたん島」という人形劇は皆見ていた。でも、中学以降は見る番組が一人一人違ってきたから、皆の話が次第に独り言化。授業中も独り言を言う者も複数出て、先生たちも困り始めた。高等部になり、独り言化は進んだ。卒業した年に、同級生たちはサポーターたちと一緒に親睦会を作りましたが、独り言化は進み、半年で潰れました。同級生も、近い世代のサポーターも独り言に明け暮れたわけです。
  その後に入った会、行った場も同じ。強いて言えば、精神障碍を持つX君もいた会が一番マシでした。X君の問題で話が噛み合ったから。X君がいたお陰であり、良かったと思います。でも、他はねえ。皮肉な事に、イエス・キリストの話で噛み合うはずの、僕の行った教会関係が一番ひどく、皆「孤独だ。寂しい」と訴えていた。
 以上は現代においては当然だと今の僕は考えるように。その寂しく、悲しい状況も認めて、自分も寂しく、悲しいと認めた上で、他人と付き合い、友人・恋人・配偶者にもなり、共に生きていく事が肝要。
 コロナとか、IT発達などが社会変革のきっかけになるかもしれませんが、まともでは社会は変わらないでしょう。でも、寂しさ、悲しさを認め合い、共有もしていけば、「共に生きたい」という意識も少しずつ出て、社会も変わっていくかもしれません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

書いて、初めて気が付いたが、僕の行った教会関係はほとんどが「寂しさ、悲しさ」を認めていた。つまり、「救いの種」はあったわけです。でも、気が付かなかった。教会組織にこだわり、自滅。残念だし、僕がそこに行ったのも当然だとも気が付きました。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年07月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

最近の日記

もっと見る