mixiユーザー(id:67124390)

2020年07月11日03:39

93 view

For No One(ぼくが以前選曲したテープより)

For No One

Killer Queen/Queen
Katie’s Been Gone/Bob Dylan & The Band
Soul Man/Sam & Dave
Badge/Cream
Superstition/Beck, Bogert & Appice
Famme Fatale/The Velvet Underground
Fish(Schindleria Pracmaturus)/Yes
Starfish and Coffee/Prince
For No One/The Beatles
Coconut Grove/The Lovin’ Spoonful
Waterloo Sunset/Kinks
1921/The Who
(The Angels Wanna Wear My) Red Shoes/Elvis Costello
Everyday People/Sly & The Family Stone
Wrapped in Grey/XTC
Long, Long, Long/The Beatles


曲の説明を行います。
1曲目。“Killer Queen”
Queenの1975年作(だと思う)。シングル。Queenの当時のアルバム・ジャケットには「シンセサイザーは一切使われていない」とわざわざ書き込んであった。音作りに相当なこだわりがあったことは明白。コーラス・ワークが特徴的で面白いが、そのコーラスはフランジャー処理されており、まるで60‘sのジミヘンのギターのジェットマシーンを思わす音響効果を上げている。ギターは複数多重録音されていて、若干大仰な音演出が、Queenらしさの真骨頂と言える。Queenはバンド名が男色家の「女性」を演ずる方のことをスラングでQueenというため、一般に毛嫌いされ、イギリス本国ではデビュー当初、まったく見向きもされなかったというが、ルックス面で日本の若い女の子に注目され、まず日本での人気に火がついて、それが海外に波及していったという過程を経てスターダムにのし上がった、珍しいグループであった。この“Killer Queen”が売れたころは、Bay City Rollersと人気を二分。日本ではそういう盛り上がり方をしていたことが記憶にある。Bay City Rollersのアマチュアリズムとは違って、デビュー当初からプロ志向の音作りをしていたQueenの人気は一過性のものではなく、しだいに実力派ロックバンドとして認知されてゆく。
2曲目。“Katie’s Been Gone”
ボブ・ディランがバイクの事故でショウビジネスの表舞台から退き、隠遁生活をしていた1967年、ニューヨーク近郊のウッドストック(この2年後に40万人の若者を集めて、愛と平和のロック・コンサートが行われることになる、あのウッドストックである)の彼の家の地下室に、かねてからバックバンドになっていたザ・バンドを招き、自宅録音に明け暮れたその時代のテープがのちに1975年「地下室The Basement Tapes」として世に出た。この曲はその時の録音で、ザ・バンドの曲である。この時代は彼らにとって蜜月時代と言え、まだ下積み時代だったザ・バンドは、このとき多くの佳曲を作っている、それが翌年の1968年、“Music from Big Pink”として世に出、当時の音楽業界の御意見番であったアル・クーパーをして、「1968年度のすべてのロック・アルバムの頂点に君臨する作」と言わしめた。それほどの傑作の誉れ高い作品として、高評価を得た。その一因には、デビューの時点で彼らは約10年の下積み期間があり、新人バンドとはいえ、すでに老成したサウンドを聴かせるヴェテランであったことが挙げられる。カナダ人4人とアメリカ人1人の混成バンドである彼らは、サザン・ソウルの泥臭さとカントリー・ミュージックの郷愁をあわせもった、得も言われぬ人間臭いサウンドを武器に、アメリカを代表するロック・グループに成長してゆく。この曲はそれを予感させるに十分な、美しいナンバーになっている。
3曲目。“Soul Man”
言わずと知れたSam & Daveでもっとも有名な超強力ナンバーである。サザン・ソウルというと、この曲か、Otis Reddingの“I Can’t Turn Your Loose”を挙げないわけにはいかない。それほどの決定版と言っていい名曲である。イントロから全篇に聞こえる、南部の埃の匂いのするような、けれどもカッコいいコード・ワークのギターを聴かせているのはスティーヴ・クロッパー。ブッカーT & MG’sの花形ギタリストである。Sam & Dave、Otis Reddingと言ったら、ブッカーT & MG’sを抜きには語れない。バックはずっと彼らが務めてきたからで、彼らの黄金時代と言えば、この連中のことがすぐに語られる。スティーヴは白人だったにもかかわらず、黒人のような渋いギターを聴かせるひとで、今でもリスペクトしているギタリストは後を絶たず、未だにスティーヴ・クロッパーばりのギターを誰かが弾くと、ファンが泣いて喜ぶのも彼ならではの逸話であろう。
4曲目。“Badge”
Creamの1969年作。“Goodbye Cream”の収録曲。Creamは1968年に解散を発表しているので、この曲はそのあとに録音されたものだと思われる。左サイドでコードを弾いているのは、ジョージ・ハリスン。ホワイト・アルバムの“While My Guitar Gently Weeps”でエリック・クラプトンにリード・ギターを弾いてもらったお礼だと言う。それにしても感心するのは、この曲の間奏でのエリック・クラプトンのソロである。べつに早弾きをひけらかすわけではないが、洗練された柔軟なフレージングは別格的で、当時ここまで華麗なギターを弾く者は、当時の欧米には、他にひとりもいなかった。圧倒的なプレイと言える。まさにGodのプレイである。
5曲目。“Superstition”
Beck, Bogert & Appiceの1973年作。第二期ジェフ・ベック・グループを解散し、トリオで新バンドを組んだジェフ・ベックだったが、ここで彼がやろうとしたのは、誰が聴いても明らかにCream。カーマイン・アピスはジンジャー・ベイカーを彷彿とさせるような、ドカスカスタタタといった、にぎやかなドラムを叩いているし、ティム・ボガートもジャック・ブルースばりのおしゃべりなベースを弾いている。だが、ジェフ・ベックはジェフ・ベック。エリック・クラプトンになろうとするのはおかしい。ジェフ・ベックを60年代から聴いているひとならわかるはずだ。彼は3度の飯よりギターを弾くのが好きな、根っからのギター小僧。彼にはギターを与えておきさえすれば、悪さはしない。彼にはギターは飯の種ではなく、遊び道具なのである。そういう彼だから、クリームの真似をしたこのアルバムは、彼らしくないと批判の対象になった。それで彼もわかったのだろう。2年後、第二期ジェフ・ベック・グループのよき相棒だったキーボードのマックス・ミドルトンを再び呼び、吹っ切れたようなクロスオーバーのアルバム“Blow by Blow”を出した。
6曲目。“Famme Fatale”
1967年作。The Velvet Undergroundのデビュー・アルバム“The Velvet Underground and Nico”の収録曲でルー・リードの曲だが、リード・ヴォーカルは女優のニコが執っている。このデビュー・アルバム、アンディ・ウォーホルのプロデュースでアルバム・ジャケットも彼の作。バナナをあしらったジャケットであった。このバナナ、シールになっていて、剝がすことができた。ヴェルヴェッツは当時誰も歌わなかった同性愛を歌ったり、麻薬ヘロインのことを歌ったりと、そういう面で物議をかもしたが、サウンド、演奏は下手だが、退廃的、デカダンスを匂わせた、これもやはり当時誰もやらなかったことをやっていた。ルー・リードの曲が多いが、ジョン・ケールの存在感が大きく、退廃的ムードはジョン・ケールが出していたと思われていた。ニコのヴォーカルはところどころ音程を外すものの、独特のムードを醸し出しており、存在感を発揮している。
7曲目。“Fish(Schindleria Pracmaturus)”
Yesの1972年作“Fragile(こわれもの)”収録曲。短い曲だが、変拍子でプログレッシヴ・ロックの世界を演出している。実験精神にあふれた意欲的な演奏。当時のドラムはこののちKing Crimsonに参加することになるビル・ブラッフォードが叩いている。
8曲目。“Starfish and Coffee”
Princeの1987年作。“Sign of the Times”の収録曲。このアルバムは彼のバンド、The Revolutionから一旦離れ、彼ひとりがスタジオに籠ってつくった、自作自演のアルバム。よってこの曲も楽器はすべて彼が弾いている。プロデュースももちろん彼(ぼくの記憶が正しければ、Princeは他人にプロデュースをゆだねたことがないはずである)。ドラムの音処理がおもしろく、独特のビート感がいちばん印象に残る曲である。
9曲目。“For No One”
The Beatlesの1966年作。“Revolver”収録曲。一応作詞・作曲はLennon & McCartneyのクレジットになっているが、それは契約上の表記に過ぎず、実際にはポール・マッカートニーの曲で、作詞にも作曲にもジョン・レノンは関わっていない。演奏にもジョンは参加しておらず、ジョージも参加していない。ポールとリンゴ、そしてアラン・シヴィルというホルン奏者がセッションに加わっているのみである。演奏されているのはハープシコード、ピアノ、ベース、ドラムス(バスドラム、スネア、ハイハット)、タンバリン、ホルン。シンプルな演奏だが完璧で、無駄がない。詞は男女の苦い別れの朝を、淡々とした乾いた文体で描いている。美しい曲で、ポールの書いた曲の中でもっとも好きな曲と、ジョンが絶賛している。
10曲目。“Coconut Grove”
The Lovin’ Spoonfulの1967年作。“Hum of The Lovin’ Spoonful”の収録曲。彼らはアメリカのバンドで、フォーク・ロックの範疇におかれていたが、良質のポップな音楽を生むグループとして認知されていた。当時ジョージ・ハリスンが愛聴していたバンドだった。この曲はジョン・セバスチャンの曲だと思うが、アンニュイな曲調が快い。
11曲目。“Waterloo Sunset”
Kinksの1967年作。“Something Else by The Kinks”収録曲。誰の曲か知らないがたぶんリーダーのレイ・デイヴィスの曲だろう。シングルとして出、全英チャートベスト3に入るヒットになった。キンクスらしい一歩引いた清々しいサウンドが快い。2012年のロンドン・オリンピックの閉会式にキンクスが出演した時演奏されたのもこの曲。
12曲目。“1921”
The Whoの1969年作。ロック・オペラになったアルバム“Tommy”の収録曲。ピート・タウンゼントの曲だと思う。The Whoはピートの存在感が大きいが、キース・ムーンの前のめりビートを叩き出すドラムス、ジョン・エントウィッスルのおしゃべりベース、ロジャー・ダルトリーの張りのあるシャウティング・ヴォーカルと役者が揃っていて、決して侮れないブリティッシュ・ロックの雄。大風車のように右腕をぐるぐる回転させての、ステージでのピートのコード・ワークやステージのたびにギブソンSGを叩き壊す派手な立ち回りも有名(これはジミ・ヘンドリックスが真似したほどだった)。
13曲目。“(The Angels Wanna Wear My) Red Shoes”
Elvis Costelloの1977年作。“My Aim Is True”の収録曲。ニック・ロウのプロデュース。アレンジ的にLate 60‘sっぽい。それもブリティッシュ・ロックのサウンドを彷彿。いまKinks、The Whoと並べて聴いても違和感のない音作りはまさにニック・ロウのなせるわざで、誰かロック雑誌のライターが書いていたが「ロック史上5番目ぐらいに偉大なひと」とは言い得て妙。
14曲目。“Everyday People”
Sly & The Family Stoneの1969年作。シングルとして発売され、爆発的ヒットを記録。1969年前半全米チャートを独走した曲。実際黒人音楽のフィーリングにロックのテイストを加味したサウンドは、しびれるほどにカッコいい。スライ・ストーンの天才ぶりが窺える曲。Sly & The Family Stoneほど、音楽の“間”を大切にしたアーティストはいない。このあとに出たシングル“Stand !”や、アルバム「暴動」など、鬼のような間の取り方が感じられてリスナーは戦慄せずにはいられなかった。むちゃくちゃにカッコいいのだが、死ぬほどスリリングでもあるのだ。
15曲目。“Wrapped in Grey”
XTCの1992年作。“Nonsuch”収録曲。アンディ・パートリッジの曲。この時期、XTCはLate 60’s、それもThe Beach Boysの“Smile”のサウンドにはまっていて、この曲でも“Smile”を彷彿とさせる音作りが感じられる。非常に凝っていて、奥深いのだが、一方で遊び心もあるわけで、意識的ロックファンを喜ばせた。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する