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2020年06月08日23:46

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マディソン郡の橋

6月に入ってからも週半分はテレワーク。で週の最初の日=月曜が自宅勤務というのは少し幸福な気分になる。暑い中汗だくで出勤しマスクしなくていいし、メイクもしなくていいし、髪をくくってスウェットでうろうろ、仕事の合間に家事をし、昼からビール飲みながらリビングのノートPCで仕事をする。目の前のテレビはNHK朝ドラを見たあとほぼつけっぱなしでBGM代わりになっているが、最近知ったのは、BSプレミアム映画劇場が昼間にもあるってことだ。
昔見たけどちゃんと見てなかった、有名なのに見逃がしていた、といった(今更聞けないシリーズの)映画はけっこうあるのでありがたい。先月もゴッドファーザー・パート2とパート3をBSプレミアム映画劇場で見れたのはよかった。

今日は「マディソン郡の橋」だった。
実はこの映画最初からきっちり見たのは初めて。平凡な農家の主婦と、マディソン郡に橋の撮影のためにやってきたカメラマンの期間限定の恋。それも中高年の不倫でずいぶん話題になった。平日の昼間にまるで昼メロを見てるような妙な気分で視聴。
1995年の作品。公開当時は子育てで多忙のため多分見てないし関心もなかったと思う。実際アラサーやアラフォーで見たらリアリティがないだろうし、アラフィフでは生々しすぎてつらいし。いまじっくり見れたのはよかったかも。
生々しすぎてつらいと思ったのは、子どもの反抗期や思春期、自分の更年期、夫婦の危機などが嵐のように押し寄せるアラフィフという渦中に自分がいた時間をふりかえったときに切にそう思うからだ。
実直だけど会話のない夫、母親をないがしろにする思春期の子供。子育て家事をどれだけ頑張っても誰からも評価されない。単調で変化のない日常。農村の閉鎖的なコミュニティー(近所の噂がすぐに広まる)。
そういう日常に身を置くヒロイン・フランチェスカ(メリル・ストリーブ)のしんどさがわかりすぎて涙があふれる。全く同様の心の穴を抱えて生きてきたから。

実際子供なんて、自分の親がどんな恋愛をして人生を歩んできたかなんて、まったく興味も関心もないし、まして思春期の子にとって母親なんてただの「飯炊き女」。それ以外になんの価値も人格も認められていない。彼らにとっておかあさんは文字通り「母」(ご飯作ってくれる人)であって「人間」でもなければ「女」でもない。最初からそこにあるものと思っていて、なくなってしまうかもしれないなんてみじんも考えない。
彼女だって自己犠牲のもとにそういう「安心感」を子供に与え続けてきて今がある。

設定では写真家のロバート(クリント・イーストウッド)が52才ということだから、18才と16才の子供がいるフランチェスカ(メリル・ストリーブ)は45〜6才といったところか。
彼はフランチェスカが結婚する前かつてイタリアで教師をしていたころの話を興味深く聞いてくれる。彼女の故郷にも仕事で訪れたことがあるという。教養もありイエーツ詩集の話で盛り上がる。夫に話したこともなかった話題。夫なら全く興味を示さない話題。そんな会話を繰り返すうちに二人は打ち解けていく。ロバートにとっても最初は旅先での人妻とのアバンチュールのつもりであったろうが、孤独な旅を続ける彼にとってもそれまで出会った女たちと違い彼女は自分が帰る港のような安らぎをもたらす女性だった。

「貴方にとって私は世界のあちこちにいる女友達と同じでしょ」これはアバンチュールなのだと自らを納得させようとするフランチェスカにロバートはいう。
「こんな確信は生涯に一度きりだ。」

彼にそこまで言わせておきながら彼女は今の生活を捨てる決意が持てない。
「おねがい私に責任を放棄させないで」

責任とはなんだろう?自分が選びとってきた人生への責任。家族への責任。

フランチェスカはこの責任のために家族の元にとどまった。その選択は正しかったのか。
二人の子供を育て上げ夫につくし最期を看取った。それでも彼女の中で消えなかった秘められた愛の炎があったことを、子供たちは彼女の死後に知る。

昔の恋文とか元彼の写真とか大切な思い出としてしまってあったものをいよいよ終活として処分しなければと考える。実際遺族の迷惑になったら困るという理由で全部焼いちゃったわという人もいる。
このフランチェスカという人は敢えて自分の秘密の恋を死後に子供たちに開示した。母の一面しか見ていなかった子供らは最初は「ありえない、たぶらかされただけだ」と思うけれど、ノート数冊にしたためられた(自分たちが留守中の)母の4日間のノンフィクションのストーリーに心動かされていく。
若ければ理解できなかったかもしれない、自分らと父親が留守中のたった4日で母が恋に落ち、その恋を一生大事に抱きしめて生きてきたことを。そのことをお首にも出さず家族のために生きた母親を責めることができるだろうか。母親が父親以外の男を一生思い続けていたなんて、そんなこと知りたくなかったと思う。裏切られたとも思う。
でもここでは子供ももう中年(夫婦の危機や子供の思春期に悩む年代)になっており当時の母の悲しみに共感できることがたくさんある。
人にはいろんな隠れた一面がありそれは家族でさえもわからない。毎日淡々と家事をこなし子供の成長を見守ることが生き甲斐であった、そんなハンで押したような単純構造の母親であるよりは、何層もの深い葛藤や愛情や思慮で形成されている多重構造の母親でありたいと私は思う。

今たまたま写真家の本を読んでいる。
そのエッセーにロバート・キャパのことが書かれていたのだが、この映画のロバート・キンケードはなんとなくロバート・キャパを想起させる。キャパは報道カメラマンだから全然違うと思うけど(笑)。
そういえばクリント・イーストウッドもミスキャストな気がする。彼自身が監督だからしゃーないけど。

写真家ロバートが遺品として彼女に送った「4DAYS」という個人的な写真集。それは情欲に押し切られる若い男女の不倫にはない大人の恋がハイスピードで化学反応を起こした4日間の物語。


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