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2020年05月02日23:14

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Can you ever forgive me ?

51歳、女、猫とアパートで独り暮らし。
肥満ぎみ、化粧はしない、掃除もしない。
グラスに入れたウイスキーを啜りながら、いつも何か書くか、読むかしている。
品のない暴言を繰り返すから、友達と言える人はいない。

・・・こう聞いてすぐに思い浮かぶ人が、あなた方の身近にいないだろうか。

映画『ある女流作家の罪と罰』の主人公は、こういう女だ。
私自身が、主人公と自分との似ていない部分を探す方が難しかったので、先ほど咄嗟に私のことを連想された方も何人かいらっしゃると思う。

これは実話であり、主人公の懺悔の書の映画化である。
キャサリーン・ヘップバーンへのインタビュウが当たって、伝記作家としてベストセラーに名を連ねていた時代もあった主人公リー・イスラエルも、ヒットが飛ばせなくなった今、ようよう食いつないでいた仕事は同僚への暴言で即時解雇され、家賃は3か月滞納、動物病院への支払いも済ませていないため、老猫を治療に連れて行っても門前払いを食ってしまう。
いきつけのバーでくだを巻いているところで、かつてパーティで顔を合わせたことのあるムショ帰りのゲイのジャックと再会、意気投合して、互いのうっ憤をぶちまけあう"drinking buddy"(飲み友達)となる。

ジャックを演じた、イギリス人のリチャード・E・グラントが最高だ。
自慢のブルー・アイと真っ白な歯、場当たり的なおしゃべりと派手なジェスチュア。
もう若くはないというのに、軽薄なウインクがすこぶるチャーミングだ。
『ダウントン・アビー』で、夫のいぬ間に伯爵夫人の寝室に忍び込んでつまみだされる画商を演じた俳優、といえば憶えておいでの方もおられよう。

いよいよ生活に行き詰まったリーは、自分の部屋の壁に大事に額に入れて飾っていたキャサリーン・ヘップバーンからのお礼の手紙を、とうとう古書店で売り払ってしまった。

その後新たな作家の伝記執筆に着手した彼女は、図書館での調べ物の最中に、作家の資料の間に挟み込まれた手紙を発見、思わず鞄に入れて持ち出してしまう。
先の古書店で、「個人的なことが書いてある手紙は収集家に喜ばれる」と聞いていた彼女は、一計を案じて、伝記作家ならではの知る人ぞ知るような事柄を、手紙の上からタイプライターで追伸として書き加え、これも古書店に持ち込んだ。
かつてのベストセラー作家が、犯罪者に転落した瞬間だ。

主人公を演じているのはメリッサ・マッカーシー。
世の中への怨嗟を抱え、自分を好いてくれるのは猫だけ、でも自分には才能があるし成功もしていると、酒を呷りながら社会に唾する孤独な女。
誰も彼女を好きにならない、けれど観客誰もが身につまされる、そんな役どころだ。
コメディエンヌから演技派への転身と話題になり、この作品で2018年のアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたそうだ。

作家の手紙は、驚くような高値で売れた。
これに味を占めたリーは、古い型式のタイプライターを買い集め、便箋をオーブンで焼いて古びた味を出し、次々に有名人の手紙を偽造する。
本来プロの伝記作家である彼女は、作家の心理や、作品執筆の裏でどんなことを考えていたかなど、想像を駆使していくらでも私信を捏造することができたのだろう。

トラブルで宿無しとなったジャックを自分のアパートに住まわせるようになった彼女は、口のうまい彼に、手紙の売りさばきを任せることにした。
文学のことなんて何も知らない、マレーネ・デートリヒすら知らないジャックは、しばしばリーをがっかりさせるけれど、その人当たりの良さや出まかせの嘘が、どういうわけか相手の警戒を解くらしく、文書は彼の言い値で売れた。(そして時折、ジャックは売上金をちょろまかした。)

だが、二人の成功譚は、ほどないうちに暗転する。
リーにも、それはわかっていたことだったろう。
しかし映画を観ている我々は、彼女が曲折を経た末に、事の顛末を本に書き、やがて映画化されて話題を呼ぶことを知っている。
Can you ever forgive me ?
事件から16年後に書かれた、リー・イスラエルの回想録のタイトルだ。


この映画は、どん底にいた惨めな女の転落を描くけれど、書店員、アパートの管理人、バーテンダー、獣医、弁護士といった登場人物の多くは、そんな彼女に向けて、時にうっすらとした優しさを示す。
それらがこの作品を、不思議に温かく、愛おしいものにみせている。
マリエル・ヘラー監督の本質的な優しさが、そこに現れているのかもしれない。
チェット・ベイカーやビリー・ホリデイの歌声が、冬の夜の街に低く流れる。
この作品でも、やはりニューヨークは、物語を美しいものに仕立て上げてしまうようだ。




※書評 『本を愛しすぎた男』(アリソン・フーヴァー・バートレット/著)
https://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=24016198&id=1921007323

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