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2024年05月21日20:33

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神話としての『白鯨』

ーー神様は、あなたを嘉(よみ)せられないのだ、ご老人。思い止まってください!この旅は不吉です!初めから凶(わる)かったし、凶いことが続いている。 (新潮文庫 田中西二郎訳)
フォト


ハーマン・メルヴィルの『白鯨』は、いわゆる"必読書"とされる本のひとつだ。
先般亡くなったポール・オースターも、『ドン・キホーテ』『戦争と平和』『罪と罰』『失われた時を求めて』などと並んで、"favourite books"の第3番目に挙げていたらしい。
https://twitter.com/johnstonglenn/status/1785662959936508095
たぶん多くの方々に賛同いただけると思うが、これら必読書といわれる本を実際に読むのはなかなかしんどい仕事だし、そもそもさほど読みたいという気持ちにもならない、でもやっぱり逃げずに読んだ方がいいのかなぁという間で常になんとなく揺れているというのが、我々読書家の実際ではないだろうか。

『白鯨』を読んでみたいというのは前々からあった。
理由のひとつは、単純にクジラという巨大生物への興味。
でもどちらかというと、日本の古式捕鯨の方に関心が強かったけれど。
そして、主人公たる狂人エイハブ船長が、そのとてつもないクジラに戦いを挑む物語であると聞いていて、物語そのものへの興味も持っていた。
さらに、その"必読書"だ。
これまでの経験で、必読書というものは、挑んでみると意外に面白いものが多いということには気づいていた。
ただ、あまり新しい作品ではないので、特別な教養を持たない一般人にはなかなか歯が立たないのが辛い。
だけど。
読書会を十年以上続けてきて、そろそろ自分にも読めるんじゃないかな。
それにみんなと読めば、さらにもうちょっと深く読めるのでは。
そういう気持ちもあって、今回の読書会のテーマとした。


あらすじは、いたってシンプルだ。
アメリカの、いや世界の捕鯨漁が最盛期を迎えた頃。
語り手のイシュメールは、縁あってエイハブ船長率いる捕鯨船ピークォッド号の乗組員になる。
ボストンの南、ナンターケットを出港した船は、3年を予定した航海で、喜望峰を廻り東へ、ジャワとスマトラの間の海峡を北上し、日本海沖からさらに東南に進む。
その過程で何頭もの鯨を仕留め、ナガスクジラのヒゲを採り、分厚い脂肪で構成された皮を、夏蜜柑の皮をむくようにベリベリと剥いで刻んで火にかけ油を搾り、マッコウクジラの巨大な頭にたっぷりと湛えられた香り高い脳油を汲みとって樽に詰め、船倉に貯蔵する。
時には、マッコウクジラの胃袋の中にできた龍涎香も見つける。
やがて船が太平洋の真ん中、赤道近くまで来たところで、エイハブは自ら白く巨大なマッコウクジラを発見する。
エイハブ船長と、くだんの白鯨との再会は、両者の最終対決の時でもあったーー。


"必読書"としつこく言われてきた本だから、読んだことのない、そしてこれからも読まないであろう人も、内容は多少ご存じかもしれない。
かくいう私は、話の結末、つまり白鯨とエイハブ船長が最終的にどうなったかは全く知らなかったのだが、なんてこったい、最初に手に取った岩波文庫の巻頭にある登場人物一覧と参考地図を眺めて、読む前に予想がついてしまった。
あああ、どうしてくれるのだ!
(だから表紙と挿絵と註の充実にもかかわらず、初読の方には岩波文庫はお勧めしない。)

ピークォッド号を率いるエイハブ船長は、初老で、片足が失われている。
先の航海で(それが直近だったのか、もうちょっと前だったのかは、私にも、読書会に参加してくれたメンバーにもしかとはわからなかった)、エイハブは、巨大な白いマッコウクジラを仕留めようと銛を投げ、ボートで接近して無謀にもナイフで心臓を突き刺そうとしたところ、白鯨がその下あごを一閃、彼の片脚はまるで草刈りのように刈り取られてしまったのだ。
それ以来、復讐に燃えるエイハブは、鯨の骨で作った義足をつけて、本来の捕鯨の目的ーー彼らの目的はほぼ鯨油のみで、それ以外は海中に残して捨ててしまうーーをおざなりにして、件の白鯨を追いかけ続けている。
エイハブにとって、漁としての捕鯨はもうどうでもいいのだ。
復讐、それだけが、エイハブを突き動かしている。

それに異を唱えるのが、首席航海士のスターバックだ。
かのコーヒーチェーンの名が、彼に由来するのをみなさんご存じですね?
これがまた、すこぶるかっこいい。
敬虔なクエーカー教徒で、責任感が強く沈着冷静、妻と子を愛する実直な男。
スターバックはこれまでに、父と、弟を海で失っている。
今度の航海も、たくさんの油を取ってナンタケットに帰り、相応の分配金を得て家族のもとに帰るのが彼の当たり前の目的だ。
だから航海中、エイハブとスターバックは何度も深刻に対立する。

ーーわたしはあなたに、スターバックに気をつけろ、とは申しません。お笑いになるかもしれませんが、エイハブはエイハブに気をつけるがよい、あなた自身に気をつけるがよい、エイハブ船長。 (岩波文庫 八木敏夫訳)

スターバックは一度はエイハブに向けて銃の引鉄を引こうとまでするが、ぎりぎりで思いとどまる。
ところで、エイハブはなぜかくも白鯨への復讐に狂いたっているのだろうか。

ーー彼の偏狭は、足をとられた瞬間にすぐおこったものではなかろう。ところが、この衝突のため帰航を余儀なくされ、いく日もいく週間もいく月もエイハブが一つのハンモックの中で苦痛と起居を共にして、真冬にあの荒寥たるパタゴニアの岬を回っている時、片脚なくした肉体と傷ついた魂とが血をふきあいまじりあって、とうとう彼を気ちがいにしたのだ。 (角川文庫 富田彬訳)

とこう作者は説明する。
だがもう一つ理由があるかもしれない。
この航海に出る直前、ナンタケットの街でエイハブは、何があったのかうつぶせに倒れて気を失っているところを発見されている。
転んだ際、鯨骨の義足が外れて杭のように股間を貫通せんばかりになるという深手を負っていた。
老人といってもいいエイハブには、意外なことに、年若い妻がいるのだった。
この事件は、怒れる男エイハブの狂気と執念に、さらに何か深刻な作用を及ぼした気がしてならない。


さて、この物語には、これ以外にも興味深い男たちが幾人も登場する。
読み始めて最初に読者の心をつかむのは、天才的銛打ちのクィークェグだろう。
南海の島の大酋長の息子、体中に入墨を施した人食い人種である彼は、仕事を探すイシュメールが宿った部屋で、なりゆきからひとつの寝台で夫婦のように同衾する。
この一連の描写の、なんと奇妙で可笑しくて温かくて優し気なこと!
イシュメールとクィークェグは、二人一組でピークォッド号の船員となり、最後、イシュメールはクィークェグの・・・・おっと。

ここで、参加者から興味深い感想がきかれた。
彼は以前、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』の読書会に参加してくれていた。
明治期の日本を馬と徒歩で旅した英国女性の旅行記だ。
バードは北海道で接したアイヌのことをさかんに褒めているのだが、それは所詮、"高貴なる野蛮人"として描いているに過ぎないという批判がある。
しかしこのメルヴィルが描く「人食い人種クィークェグ」への愛にあふれた描写は、バードの文章とは極めて対照的だと語った。

「僕は、丁寧でいかにも上品な言葉を使いながら、その実彼らを見下しているのがありありな『日本奥地紀行』がどうも好きになれなかったんですけど、『白鯨』は、ぞんざいな言葉をたくさん使いながら、でもとても敬意が感じられて、こっちの方がよっぽど好きですね」と彼は言った。

『白鯨』を読みながらイザベラ・バードのことを想起してくれるなんて、嬉しいことこの上ないではないか。
これだけでもう、読書会を続けていてよかったなと思えたよ。

エイハブの船「ピークォッド号」は、その頃すでに全滅していた北米先住民族の名前から来ており、その船が「白」鯨を追って東へ航路を取ることは、西部開拓者たちが西へ西へと侵略していったのと逆に、先住民たちがヨーロッパから来た白人を東に追っていくかのようである、という解釈もあるようだ。
それに対して、この破壊的な捕鯨のようすを通して、アメリカの資本主義がよく描かれている、という感想もあった。


『白鯨』は、キリスト教、ことに聖書の知識があるかどうかで、理解に大きな違いが出てくる作品だ。
一般的な日本人には、ここがハンデとなろう。
訳者による親切な註がついてはいるのだが、文庫で2巻ないし3巻に及ぶ長編を読み進めるうちに、いつしか註を参照するのはおざなりになる、しかも註そのものがなかなか理解できないのは、もう致し方ないと思う。
ここは許してね、と言いたいところだ。

だが、登場人物の名前に注目するだけで、この物語の小昏い本質がチラリと見えてくる瞬間がある。
私は、イシュメールがピークォッド号に乗船する間際に、しつこく言葉をかけてきたイライシャという男が気になった。
栗本薫の『グインサーガ』にイェライジャという魔導師が出てくるので、おお、彼はこれから来ていたかとそこから注目したが、註を読むと、イライジャは、旧約聖書においてイスラエルの王アハブの罪を糾弾し、アハブの破滅を予告する預言者とあった。
アハブ、即ちエイハブである。
エイハブ船長の運命は、出航前に、すでに予告されていたことであった。
もちろんこのことは、現在入手可能な新刊の訳本のいくつめかを読んでいて(つまりすでに結末を知ったあとで)ようやく知り得たことではあったが、きっと聖書に親しんだ読者であれば、イライジャが謎めいた言葉をかけてきた瞬間に、物語の行く末を思って戦慄したことだろう。

参加者の一人は、私も聖書に詳しいわけではないのですがと前置きしたうえで、『白鯨』に引用または暗示される挿話は、圧倒的に旧約聖書のものが多いと指摘してくれた。
新約聖書の神が慈悲深いのに対し、旧約聖書の神は、古い怒れる神、時には人間を裁き滅ぼそうとする恐るべき神であるという。
『白鯨』の物語は、旧約聖書の神に対する人間、人間の運命についての問い、そうしたものを、容赦ない天候のもとで大海を進む一隻の船、そして海に棲む巨大な生き物に挑む老いた一人の男をとおして描いた巨編といえるかもしれない。
作者メルヴィルは、しばしば白鯨のことを「レヴィアタン」(海の怪物)と表現している。
これも旧約聖書にでてくる怪物だ。

ほかにも、船長の息子を載せたまま消息を絶ったボートを探し回る船の名前がレイチェル号(=ヨセフの母ラケル)であること、エイハブ船長が密かに雇って夜陰に紛れて乗りこませ、悪霊のごとく破滅に導くフェダラーが「拝火教徒」とされていることなど、古い信仰を想起させる要素に満ちているのだ、この長大な物語は。
これらを読み解こうとするのは大変難儀ではあるけれど、ゆえに世界中の読者の興味をひいて止まないのだろう。

『白鯨』は、神話なのです。
そう言った参加者の意見に、眼を開かれた思いがした。



ここで、これから『白鯨』を読んでみたいと思われた方に、ちょっとしたご案内を。
『白鯨』は現在、岩波文庫、講談社文芸文庫、新潮文庫、そして角川文庫で新刊書を読むことができる。
岩波に手を伸ばす方が多いのではないかと推察するが、上に述べたとおり、各巻の巻頭に収められた登場人物一覧と地図で、物語のあらましはわかってしまう。
まっさらな状態で白鯨に挑みたい方は、ここには目を通さずにいきなり本文をお読みになった方がいいと思う。
表紙が美しく、ロックウェル・ケントの挿絵も素晴らしいので、岩波自体は悪くないと思うけれど。

しかし、読書会の席で一番評判がよかったのは、講談社文芸文庫の千石英世氏の訳だった。
岩波あるいは新潮で読んでから再読し、「なんだ、こんなに面白かったのか!」という感想が数名から得られた。
(一方で、息も絶え絶えに読んだは読んだが、あまり頭に残らなかった、二度と読みたいとは思わない、と言う人は、岩波だけを読んでいた。)
私の印象では、角川文庫の訳は古臭く感じられ、やはり講談社が圧倒的に頭に入ってきたと思う。
なので個人的にお勧めするのは、講談社文芸文庫だ。
ただし。
講談社文芸文庫は、上下各巻とも2640円もいたします。

手に入れてから気がついたことに、講談社文芸文庫の背表紙や表紙の下についているシンボルマークは、クジラの尾びれだった!
https://bungei-bunko.kodansha.co.jp/
『白鯨』は、講談社としてもイチオシなのであろうと思ったが、千石英世訳『白鯨』は、このレーベルのオリジナル、2000年の初訳だそうなので、必ずしもそういう事ではないかもしれない。
なぜなのかは不明だが、講談社がクジラを好きなのは確かなようだ。
https://x.com/bungei_bunko/status/963346266498334721/quotes



ーーやがて程なく、かれの全容が半円形の弧を描きながら、空中に躍り出てきた。ヴァージニアの天然石橋が突如眼前に現れ出てきたかのように、この壮麗なる神は全身を顕わにし、次いで旗で警告を発するかのように空中高くに尾を一閃、振り上げると、そのまま頭から水中へと没し、姿を消して行った。 (講談社文芸文庫 千石英世訳)

ーーエイハブの目は、海中に何のけはいも見いだすことができなかった。しかし、エイハブが海の深みをますます深くのぞいていくうちに、その深いところに、突然、白イタチほどの大きさの生き物の点がうごめくのが見え、それが驚嘆すべき速度で浮上し、浮上するにつれてみるみる巨大化し、それがふと反転したかと思うと、底いも知らぬ深海から忽然としてそこに浮き上がって姿を見せたのは、長く、そりのはいった、白くきらめく二列に並ぶ歯並だった。それはまぎれもなくモービィ・ディックの開いた口であり、まくれあがった顎だった (岩波文庫 八木敏雄訳)

ーーもっとも深い海底から全速力で跳り上り、大抹香鯨はかくその全巨体をまったく空中に躍り出させ、眩めくばかりの飛沫の山を盛り上げて、七マイル以上の距離までその居所を知らせるのである。そうした瞬間、彼が衝き破る狂瀾は彼の鬣(たてがみ)のごとく見え、ある場合にはこの跳出は彼の挑発行為でもある。 (新潮文庫 田中西二郎訳)

ーーとつぜん、周囲の海水がゆっくりと広い円形にふくれあがってきた。それから、水面下の氷山が急に浮かびあがるときに横ざまにすべる水のように、急激に盛り上がった。低いとどろきが聞こえた。地底の鼻歌が。 (角川文庫 富田彬訳)


メルヴィルの『白鯨』。
これからも、現代に書かれた神話ともいうべきこの物語のことを、折に触れて思い出すだろう。

フォト
(読書会の後の饗宴。
鹿児島の焼酎「白鯨」は、遠くから泊りがけで来てくださった方の差し入れ。
そしてかわいらしいクジラの箸置きもいただいてしまった。感謝!)

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