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2020年04月28日02:08

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コロナ禍でみえてくるもの

アクティブに出歩いていた人たち(老若男女に関係なく)にとってSTAY HOME「家にいろ」というのはストレスがハンパないのかも知れないが、私の親族に聞くとおおかた以前と変わらない生活らしい。
毎日つましく暮らし、マスクや消毒用アルコールのために並んだり、買い溜めに奔走したりなども一切関係ない人たち。そもそもが働いていないしほとんど家にいる。カラオケ、ゲーセン、パチンコ、居酒屋、風俗行かないし、友だちとおしゃべりしなくても平気。SNSもしていない。ある意味超然としている。みんな大変だ大変だというけれど、たいして生活に影響を受けない人たちも実はいるのだ。

思えばうちの両親のような後期高齢者は、無職だし地域の活動も(年寄すぎて)免除され、ソーシャルディスタンスでいえば一番社会から遠い存在なのかもしれない。ただ彼らはまだなんとか自分のことが自分でできるからいいのであるが、介護が必要な高齢者(日常の食事や買い物、入浴まで介助なしにできない人たち)は、コロナで介護サービスを受けられなくなったことでますます困窮し、衰弱し、コロナでなくても死に近づいていくだろう。

もうすぐ夫が定年退職を迎える妻は、夫のテレワークによりいい予行演習ができるだろう。コロナ離婚がふえるとか言われてるけど、こんな人でも自分の家族であり、もしなにかあったら救急車くらい呼んでくれるだろうし、やっぱり誰かいてくれてありがたい、一人でいるより心強いと思えるかもしれない。

思春期の子供は家に全くいないのがふつうだが、いまこんな状況で全員家にいる。これは異常ではあるけれど、家庭の非常事態ではない。親子関係の問題点や不平不満、将来のこ夢、どんな仕事につきたいか、結婚観や人生観をじっくり話をするいい機会になるかもしれない。とにかくこのような非常時には、人間の「素」・「本性」が出る。意外な一面を発見するかもしれないし、見たくなかったあさましい姿もみることになる。

絵本作家五味太郎のインタビュー記事はおもしろかった。
https://withnews.jp/article/f0200406002qq000000000000000W09w10101qq000020835A

五味氏の指摘する「学校化社会」とは〜〜
この学校を我慢してつづければやがて卒業証書をもらえる、会社も我慢すれば退職が・・のように。考えることを放棄してやり過ごす社会のことだ。自分はなにがしたいのか。主体的に考えない。決められた道を歩いていくことに疑問をもたないか?再びそんな社会に戻りたいの? と五味氏は私たちに逆質問し、もっと悩みなさいよ、人生とはなにか?自由ってどういうこと?いまこそ考えるチャンスだよ、という。

学校化社会に息苦しさを感じていた子供(不登校やいじめにあってる子)は、一斉休校になって実はほっとしているかも?学校行ってないのは自分だけじゃない。勉強が遅れているのは自分だけじゃない。
もともと商売がうまくいってない人にとっても、コロナを廃業の理由にできる。他店が繁盛しているのに自分の店が閑散としているのはつらいけど、かつての人気店もすべての店が閑散としている。「コロナ禍は誰にとっても平等だ。」と歌手のマドンナが言って炎上したけど、一理あると思う。

毎日毎日やらなければいけないことに追われていた人は、家でゆっくり人生について考える時間ができるだろう。読みたかった本、描きたかった絵、断捨離や日曜大工に取り組むのもいい。
忙しさにまぎれてパートナーと向き合うことを避けていた夫婦はそれこそ同じ屋根の下四六時中顔を突き合わせてないといけなくなり、我慢の限界にきて別れる(コロナ離婚)か、逆に本音でぶつかったあと相互理解と感謝の境地に達するか、のどちらかだ。

夫は妻の一日をみて家事や育児負担がどれほどきついものか理解するだろうし、妻はテレワークの夫が、PCと電話で得意先と流暢にやりとりする姿をみて、その働きぶりを見直すきっかけにもなるだろう。そしてお互いをリスペクトできるようになれば夫婦の関係はより進歩するだろうし、相変わらず一方への依存から抜け出せないならば、せっかくの機会も無駄になるだろう。



以下、五味太郎インタビューより。

不安定だからこそよく考える。逆に、「揺るぎない考え方」って死んでるってことじゃないかな。安心・安全を前提にするから、不安をマイナスに感じるし、人間を機械のように見てしまう。AIをやる人はそれを目指しているのかもしれないけど。
『じょうぶな頭とかしこい体になるために』という本を書いたことがあるけど、今みたいな時期こそ、自分で考える頭と、敏感で時折きちんとサボれる体が必要だと思う。戦後ずーっと「じょうぶな体」がいいと言われてきたけど、それはつまり、働かされちゃう体。「かしこい頭」っていうのは、うまく世の中と付き合いすぎちゃう頭で、きりがないし、いざという時に弱い。
働き方も国会も学校も、色んなことの本質が露呈されちゃってる。五輪の延期も、オリンピックより人の命って結構大事なんだなとやっと再確認したんだろうし(笑)
グローバルグローバルって言っても、心でグローバルしてたんじゃなくてお金がグローバルしてただけなんだなとしみじみ思うよね。 こうなると、世界の全体像は誰もわからない。でも、これをなかったことにはできないんだから、乗りこえていくというより、前よりよくしましょうよ。 むしろおれ、ガキたちにはこれがチャンスだぞって言いたいな。心も日常生活も、乱れるがゆえのチャンス。

仕事も学校も、ある意味でいま枠組みが崩壊しているから、ふだんの何がつまんなかったのか、本当は何がしたいのか、ニュートラルに問いやすいときじゃない。実はコロナ禍がないときこそチャンスに満ち満ちているんだけど。今は幸か不幸か、時間が余っているんだから。
やっぱり日本人って、誰かが命令してくれるのを待ってるよね。その方が楽というか、やりやすいのかな。 でも、こういう時っていつも「早く元に戻ればいい」って言われがちだけど、じゃあ戻ったその当時って本当に充実してたの? 本当にコロナ前に戻りたい?と問うてみたい。戻すってことは、子どもに失礼な形の学校や社会に戻すってことだから。
たとえば義務教育って言うけど、子どもにとっては教育って義務じゃなく「権利」だと憲法に書いてある。 でも、6歳になったら必ず小学校に行く、他に選択肢がないんだもの。しかも(公立なら)学校も先生も選べない。どんなにまずくても、○丁目の人は全員この寿司屋しか行っちゃだめと決められているようなもの
おれは初等教育のプログラムって、ほとんどが「大きなお世話」だと思う。人格形成とか学習能力とか……。もちろん、誰も悪意でやってるわけじゃないんだけど、全員座ってじっと先生の話を聞くって、子どもの体質には合ってない。そこで栄養がとれて健康が管理できれば十分だと思うし、やりたいこと・わからないことがあったら聞ければいいと思うから。





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