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2019年11月23日17:04

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作品との対話,そして命を継ぐこと

作品に命を与え,世に出すのは,作者。
しかし,作品は,聴き続かれ,読み継がれ,鑑賞され継がれてしか,その命をつなぐことができない。

聴かれなくなり,失われていった音楽,読まれなくなった文芸,鑑賞されなくなった絵画や映画,上演の機会を失った演劇やオペラ。

どんなに一世を風靡したとしても,鑑賞される機会を失った作品は,生きてはいけない。
かつてそこに存在し命を宿していた,しかし今ではどこで生きているのか死んでいるのかも分からない亡霊のように。

もちろん,J.S.バッハの音楽のように,一度はこの世からその姿を失いかけていた芸術も,後に正当な評価を与えられ,生きながらえるケースはあるものの,長く鑑賞され続けられるには,その作品自体が時代の趨勢を超えて生き永らえるだけの「命の力」を宿しているからこそだろう。

その命を生み出すのは,作家であり,
そして,その命をつないで,よいものを後世に受け継いでいくのは,鑑賞者である私たち。

作品との対話は,作者との対話であると同時に,作品を鑑賞することで自分は何を思ったのか,その自分の内なる声との対話であるようにも思える。

作者の目線と鑑賞者である私たちの作品に向けるまなざしとが交差し,
作者の声と,自らの内なる声が対話を交わすような作品。

作者を作品の「生みの親」とするなら,
私たちは,作品を後世につないでいく「育ての親」

私たちは,鑑賞者であると同時に,そのような作品の命を後世に繋いでいく使命を担っているのかもしれない。

画家の東山魁夷は,「描くことは祈ること」,そして作曲家の武満徹も「私自身の音楽行為を言葉にして表すなら,その行為を支えている多層な感情は『祈り』という一語に集約されるかもしれない」と語っている。

影絵作家の藤城清治も「僕は,影絵は『光と影の祈りの芸術』」だと思っています。『祈り』と言っても,宗教的な祈りとは違います。本当の美しさを求めて日々作品を作り,ひとつひとつのカミソリの動きに僕の魂の祈りを込める。『人を感動させよう』として作るのではなく,光と影の無限の美しさを,より豊かに伝えたいと思う,そうした心の表れが,見る人を喜ばせる作品になっていればいいと思います」と言う。

敬虔な祈りを傾ける,ほの暗い寺院の,あるいは教会に灯り続けるひとすじの松明(たいまつ)や,ろうそくの小さな明かり。
その小さな灯火を,心の中に灯し続けることが,私たちの担う使命なのかもしれない。


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