■「子どもを産みません」 18歳、宣言は自然を守るため
(朝日新聞デジタル - 10月21日 17:38)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5834403
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ヒネているつもりはないのだが、なぜ「子供を産まない宣言が自然を守るため」なのか。どなたか教えていただきたい。
ハズれているのを覚悟で無理やり推測すると「将来人口増えないと困るだろう?」というある種の脅しというか共倒れ狙いの宣言ということなのだろうか。
「将来の自然環境が保障されていないから安心して子供を育てられない」
「安心して子供を育てられないから子供を産まない」
という2段階のロジックが見えるような気がする。
むろん、「将来の自然環境の保障」は子供を安心して育てるための必要十分条件ではないが必要条件にはなりえるだろうから、そこはイジらないでおこう。
対偶で考えると「安心して子供を育てるには自然環境の保障が必要」「子供を産むから安心して子供を育てられる」ということになる。前者は良いが後者では見事な因果関係の逆転、手段の目的化が発生していると言えるようだ。私が感じていた違和感はこれなのだろう。
もう少し砕けたところで前提と結論で書くとわかりやすいだろうか。必要十分条件や対偶は論理学の基本部分ではあるが、日常生活とはなじみが薄く、とっつきにくい人も多いと思う(私自身普段からこんな面倒な考え方は用いないし)。
「子供を産まないから自然が守られる」のではない。「自然が守られるから子供を産める」なわけだ。これはわかりやすいんではなかろうか。なので、宣言するのは個々人の自由だし、ある種の自己満足が得られるならそれもよいのだろうが、「本当に自然を守りたいのなら子供を産まない宣言をしてもほぼ無意味」と周囲の大人の誰かが教えてあげたほうが良いと思う。・・・まあ自分の判断で突っ走りたいときは他人の意見になど聞く耳を持たない場合が多いのも承知しているが。
私を含めて、自分で失敗だと痛感するまでは人は突き進むしかない。思想というのもある種の宗教なので仕方ない。論理のみでは宗教や信念を覆しえないのは大学生時代に1年間かけて宗教勧誘員を説得し続けたにもかかわらず説得しきれなかったことで痛感している。
存外、論理の通じる有効範囲は狭い。論理には限界がある。論理という宗教を信じていない人間には効かないものだ。
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