今回の記事の表題候補
・ルールで縛ってはマナーとは言えない
・相互自由意思の大切さ
・自分もおぼれそうなら人助けに飛び込むな
甲子園で対戦校の投手が体調不良になった際に対戦相手から漢方薬を送るという「敵に塩を送る」的な美談があった。
こういったケースが美談たりえるのはあくまでも自由意思自由選択で行えるからであって、「ルールで強制的に行わせる」のでは台無しだ。
私がこの3年間、奥さんとの関係で思うのもこれで、あくまでも「両者が自由意思で一緒にいたいと思うこと」が理想であり「一緒にいないと困るから仕方なく一緒にいる」という依存的な要素は極力最小限にしたいと思っている。だから奥さんには資格を取るなどして、「いざとなれば一人で生きていける」だけの能力を高めてほしい。とはいえ、子供が生まれたりしたら、現実にそうもいってられなくなるだろうが。
で、体調不良ながら頑張ってきた奥さんの試験が翌日という時に、私のスマホのSDカードが不調になった。奥さんが「心配だから携帯ショップに一緒に行く」とかいうから私は多少怒った。
私「こっちの携帯の問題なんてーのは今日でも明日でもいい話だ。君は明日の試験に余裕で合格するのか?試験まで半年前とかならともかく、今の一分一秒の価値はわかってる?」
奥さん「心配だから」
私「こっちは君の試験こそ心配だ。君の試験勉強は君にしかできないでしょ。やさしさや気遣いから出た言葉とは理解するし、感謝もするが、こっちの手伝いをするほどの余裕が君にあるのか?」
私「おぼれた人を助けようとして自分もおぼれるようではダメだ。だから私は自分自身に常に一定の余裕があるように心がけているんだ。それが結果的に周囲の人を助けることにつながるからね。自分の余裕がない時は人助けはできない。無理してまで助けたら見返りを求めたくなるだろうし、助けられた方も負い目を感じるものだ」
私「そこの優先順位を見誤るようでは私がオープンバカでいられなくなる。君に渡す情報を取捨選択することで『消極的なウソ』を使わざるを得なくなる。だから、くれぐれも優先順位は間違えないでくれ」
奥さん「じゃあ助けたいと思っても一切助けてはだめなの?」
私「泳ぎに絶対の自信があるなら飛び込めばいいけど、そうじゃないなら岸から浮き輪を投げるとか自分にロープを結んで飛び込むとか、助けを呼ぶとか。自分に無理のない範囲で可能な範囲で助けようとすればいい。なにせ自分まで負荷のかかる手段を選んでも不自然だし長続きしないよってことだ」
ちなみに私のSDは2GBであった。店員さんには「初めて見た」とまで言われた。今の標準って64GBくらいあるんですね。知らなかった。どおりで何かと重かったわけだ(今さら)。
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