アゼルバイジャンで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)第43回世界遺産委員会は6日、日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵古墳(大山古墳、堺市)を含む大阪府南部の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(4〜5世紀)の世界文化遺産への登録を決めた。国内の世界遺産は23件目で登録決定は7年連続。皇室の祖先の墓として宮内庁が管理する「陵墓」の登録は初めて。
古市は羽曳野市だが実家の藤井寺市の近くである。私が通学通勤に利用していた近鉄南大阪線「土師ノ里」(はじのさと)駅は、古市駅から2つ手前にあり、東西と南北の道路がクロスする小高い丘の上に作られている。土地の形状自体、いわゆる墳墓の上に駅ができたであろうと思われる。
駅周辺も古墳だらけで、住民は古墳のことを「御陵さん」と親しみを込めて呼んでいた。幼いころの私たちにとって古墳の敷地は遊び場のひとつで、鬼ごっこやどんぐり拾いなどをして遊んだ。
当時から一応柵のようなものがあったと思うが容易に立ち入ることができたし、「御陵さん」はいわゆる里山や鎮守の森と同じ感覚で、身近な存在であった。一方大変歴史的価値のある神聖なものという感覚は希薄で地元では、まぁ荒らしてはいけないだろうがとくに熱心に維持しようという気もなかったように思われる。
土師ノ里(はじのさと)は、埴輪や土師器を発明し繁栄した氏族・土師氏に由来する名前で、実際土師ノ里周辺では窯跡があったり多くの埴輪が出土している。
藤井寺市は1978年古墳造成の石材など重い荷物を運搬する木ぞり「
修羅」が出土したときに大変盛り上がったが、その後とくに観光の目玉もなく今に至っている。
堺市にある大山古墳(仁徳天皇陵)は、世界最大の前方後円墳なので選ばれてしかるべきなのだが、まさか羽曳野・藤井寺の古市古墳群まで一緒に世界遺産に選ばれるとは期待していなかった。
まぁ古市古墳群が世界遺産に指定されたといって、観光で人を呼べる可能性は低いが、地元としては誇りをもって維持活動できるだろうし国の補助も期待できるだろう。
ちなみに実家の古い住所は現在の藤井寺市(1966年)になるまでは南河内郡美陵(みささぎ)町といった。いかにも陵墓に由来する地名だったことを思い出した。
実家に一番近い仲津山古墳は沢田・古室にあり、古市古墳群の中では応仁天皇陵(羽曳野市)につづいて2番目の大きさ
http://academic3.plala.or.jp/fujinan/fujisi/kohungun/kofun/nakatu.htm
また国府(こう)にある市野山古墳(允恭天皇陵)は4番目の大きさとのことだ。
http://academic3.plala.or.jp/fujinan/fujisi/kohungun/kofun/ingyo.htm
■世界遺産に「仁徳陵」など古墳群正式決定 国内23件目
(朝日新聞デジタル - 07月06日 17:57)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5695005hujiidera si
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