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2019年07月01日00:05

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荒井城

2回目の長野攻めの時、夜半から松本市へ攻め込みその後に再び諏訪へ。諏訪の話はまとめて乗せたのでここでは松本を紹介。

運良く見つけた漫画喫茶で仮眠した後に松本城へ出撃、と思ったら地図上に知らぬ城址がいくつも出て来たので寄り道。

荒井城は別名・清水ヶ城とも伝わる。信濃守護・小笠原氏の一族であった島立氏が築城したが築城年は不明である。不明、とされているが地元では島立氏に関わる伝承や資料が数多く残っているようだ。

それらによれば初代・貞時が上野郷と島立郷を拝領され、永享2年(1430年)に荒井城を築城して地名から「島立」を名乗ったという。貞時の子、貞永は小笠原貞朝の命で深志郷の領主であった小笠原家家臣、坂西氏の館跡に永正元年(1504年)、深志城(現在の松本城)を築城して居城とした。貞永は永正14年(1517年)に死去し深志城の本丸に葬られたという。現在、この場所は松本城二ノ丸の北西部にあった若宮八幡の跡地となっている。大永3年(1523年)には孫にあたる貞知が荒井城主であったとする。

天文19年(1550年)、武田信玄の攻撃によって落城し廃城となった。

祠が立つ場所は土塁の名残と伝わっている。
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