小島頓宮は南北朝時代の文和2年(1353年)に後光厳天皇が兵乱を避けて美濃国に行幸した際に設けられた仮の宮である。美濃守護・土岐頼康がこれを迎え入れて居城である小島城の近くに頓宮を設置し警護した。頓宮は建武3年(1336年)に頼康が僧・善育
文和2年(1353年)、南北朝動乱の最中に京で北朝が不利となり北朝の天皇として擁立されていた後光厳天皇は美濃守護・土岐頼康率いる3千の護衛に守られながら多くの公卿らと共に美濃国へ逃れて小島頓宮に落ち着いた。頓宮とは仮設の宮殿の意である。この
岐阜県池田町にそびゆる池田山。その東麓の扇状地には111基もの古墳が確認されている岐阜県最大の群集墳、「願成寺墳之越古墳群(がんじょうじにしつかのこしこふんぐん)」がある。このような大規模なものでありながら、古墳を積極的に調べたことがなかっ
金華山の峰続きに瑞龍寺山という山がある。岐阜城の出城があったとも伝わり、かつて山上に水道施設の配水場があった事から水道山の呼称でも知られている。かつて金華山やその周囲の山には多くの古墳が築かれていたが、戦国期の稲葉山城もとい岐阜城の築城や近