今日は親戚の法事だった。一周忌である。遠方から親戚の方々もやって来た。
僕は親戚の玉出に向かうのが久しぶりだった。結構前だが、祖母が自分の年齢を言おうとしたとき、
「私、90歳、うそ〜〜〜
」と驚いていた。その頃、デイサービスを利用するかどうか、ケアマネージャーの人が親戚の要介護認定をするため、家に訪れた。
祖母は隠れて、叔母がケアマネージャーさんと話していたが、祖母は二人の前に、お盆にサイダーを乗せて現れた。「はい、ど〜ぞ〜〜」と言って、二人を仰天させていた。
そこから祖母は、昔から好きだった劇場を見に行ったそうである。僕の家族と共に。
だいぶボケボケな節があったが、それでも明るく健気な人だった。
その時、僕は今をこの人と生きていたいと思った……
だけど、ここ数年は、俺は俺でなくなっていった。
散々今まで書いているから割するが、僕は自分の性格に、疑問を持たずにはいられなかったのである。
今日、久々に僕は親戚の家を訪れた。
その時、叔母に昔の写真を見せてもらった。いや、というか、僕の頭の中から、叔母も祖母も、そして玉出も消えかかっていた。あの日々は俺の幻想ではないのか?
少なくとも僕はここ数年、繰り返しになるが、そういう「大切な人」との時間を忘れて、しょーもない連中の事に、頭を占拠されていたのである。
母が退職したからか、それとも祖母が持ち崩したからか…………それは分からなかったが、僕は、もう一度言うが、自分の「つけこまれる」性格に疑問を持たずにはいられなかったのである。
そこではかつての、祖母がよく座る座布団があった。
大学卒業する前、キーボードを担いで、コーラスの伴奏を手伝っていた。ミュージシャンなら「ギター一本で、歌を届けるぜ
」とソロで行けるかもしれないが、悲しいかな、やはりキーボードというかそういうのは「ソロ」では出来ない口だと思う。ソロでいけるシンガー&ギタリストは憧れるが、結局、僕は誰かの曲のサポートである。確かに僕は「前へ前へ」という性格ではなかった。小林武史というか、「人を活かす」という事に注力したかった。
それが桜井さんでも、藤巻さんでも、salyuでも、誰かを活かすことができるコバタケはすごいと思った。近年では、「自分の色を出しすぎだ」とも言われていたが。
そんなわけで、僕もやはり祖母のサポートをしていた。正直このときは自分のことで頭がいっぱいだったが、それでも祖母に少しでも感謝されていれば良かったと思う。
その翌年、友達の結婚式に伴奏として参加した。新入生歓迎ライブで注目された以来であった。
さて、僕のそういう部分も親戚の影響だったのかもしれない。そこから僕は記念に祖母や大叔母の昔の写真を頂いた。
若い時は僕に似ていたようにも思えた。
なぜ僕が本日呼ばれたのかと言えば、法事の会場に持っていくお茶とかビールの運搬係となったからだった。
力仕事に動員される記憶が懐かしいと思った。
昔、祖母から「世の中には行き金と死に金というのがある。」と言われたことがある。お金というのは、相手が必要な時に渡さなくてはならず、そうじゃないとき渡してもそれは意味がないのであると。
祖母は普段とても優しかったが、大切なことを言うときは、氷のように鋭い言葉を放った。そして僕は、この言葉の意味を、今痛感している。今まで何をお金をバカスカ使ってきたのだ?買い物ならまだいい。結局他人に使ってしまった。言うまでもなく、高校の塾とか意味分からねえサークルに使っていたのだ。何で?そんなんに使わなくていいから、今お金で助けてくれよ
交通費なり生活費なり、最低限で良いんだよ
今、俺を助けるお金が欲しかった……
そうは言うものの、祖母は少ない年金から、わっちにお年玉をくれていた……先日自分の部屋を整理したらでてきた。結構な額だったので、少しずつ生活費に使いたい。
さて、法事の会場に移った後、住職さんがお経を唱えていた……正直めっちゃ眠たかった。祖母なら……「まあ〜足崩しときや〜」と言っていたのだろうか。
僕は前から、どうも祖母と「ドラえもん」が重なってならなかった。もちろん体型とか、見た目がではない。優しさと厳しさと、義理と人情……ベタもベタだが、自分の原点がそこにある気がしたのだ。
そういや昔お世話になった中学の先生もそういうタイプだった。血と汗と涙とか、ベッタベッタだけどやっぱり頑張たないとなあ、と思う人だった。
しかし高校では打って変わって、そういう全く尊敬できない連中に目をつけられた。本当世の中には色んなヤツがいるよな〜と思った。
あと、女性のタイプはあんまり僕は考えた事がないが、昔から「芸者さん」とか「花魁」に惹かれる事があった。ゾンビランドサガの「夕霧姉さん」みたいな人である。ってアニメやないか
それはともかく、会場の横にある建物で夕食をとった。正直かなり気まずい。良い悪いじゃなく、やっぱり波長というのは、合う人が大事なのだ。それは僕にとって祖母であり、本日はその方を偲ぶ会なのであった。
そういう意味で、早く終わらないかな〜と考えていた。
なんやかんや、帰ってこれた。会場から駅までの途中、スーパーのライフが新しく立っていた。
もし祖母がいたら、きっと自転車でここまで買い物に、なんなら歩いてでもいけただろう。
「スーパーでさんま買うてきたけど、食べるか〜〜」と言いそうな気がしたのだった。
僕が今日思っていたことは、写真を見て、「人を恨むのは、みっともない事よ」と、祖母や大叔母に言われた気がした、と言うことであった。そして僕がそんな気がしたのは、この人たちと多少でも触れあってきたからであった。
僕は大切されてきたのだろうか。反対に俺に自分のでかく見せるヤツや、他人を蔑むヤツは、普段相手にされてない連中なのだろう。そいつらと比較するわけではないが、俺は祖母と過ごせて幸せだ〜思ったよ
「この人ために頑張るわ
」という男に会えてよかったよ
とも思えた。
人生の目標とは?俺の人生観とは?愛と友情?義理と人情?
ど根性か?浪花節か?プロ野球の川藤さん、掛布さんのような男か?
僕はその写真から、大切なことを教えてもらっていた気がした。
続く
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