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2019年06月19日22:57

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続 友達の思い出

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前に甲子園で、大学の友達と、と書いていたけど、はっきり言って当時の僕は彼と会いたくないと思っていた。なぜなら、「僕が勝手に友達だと思い込んでいた」だけであった、と感じたからである。






バスケを続けたきた友達だったが、俺が遊びであってもバスケをするのを、良く思っていなかった。変なところでプライドのある人間だった。「そんなプレー、経験ないやつにできねーよ!」と。





かなり省略しているが、僕はこの時ある事実に気がついた。



バスケも、経験者とかプロとか言い出したらきりがないが、それでも見よう見まねで、ある程度まではできると思う。どうしても無理ならまた考えればいい。




でも……友だちは「やらなくて結構」と言ってきた。



大学時代、ジャズ研のピアノで、当時僕は色々な人に教えをこうていた気がする。バッキングとは〜リズムとは〜セッションとは〜という感じだった。




正直、サークルのメンバーも、ノリで演奏してるような連中だった。「こいつは出来てない、俺はできてる」なんて行ったところで、そいつの主観だし、実際道行く人が立ち聞きしても、何の違和感もないだろう。




俺もそう思ってた。実際、自分の演奏で、みんなを、この空間を湧かしたい!とずっと考えていた。

演奏技術うんぬん、言ってんじゃねーよ。どこが出来てないか、お前は説明できるのか。ほなら、お前自身が出来てるって、どうやって証明できるんだよ。




実際その通りだろう。誰も説明できないし、一人や二人学祭にねしこんだら済む話だ。



でも……結局は「俺ら的に、来なくて結構」ってことだろう。だから僕も、入って違うって思うなら、早く離れたら良かった。


軽音もフォークソング部も仲がいい。俺も「彼の落ち着きを見てみよexclamation」と、フォーソンの人に賞賛されたことがあった。


でも、その関係も棒にふった。なんか俺は自ら、僕を慕ってくれる人と距離を置いてきた。



そして、どーでもいい奴らに、往々にして引っ張られてしまった。



高校時代、河合塾でつるんでたメンバーは、言うまでもない。





僕が「ある出来事」かきっかけで、学校が気まずくなって、他の場所に居場所を求めたのである。いや、ガチでどうしようもないぐらいコミュニケーション取れないやつだったら仕方ないが、俺はわざと「仲のいい人」と距離を置いてきた。




それは、切磋琢磨していこうとしたともだちとの、ほぼ決別を意味していた。




その友達は、俺に「来なくて結構!」と言ったのか?俺を利用しようとしたのか?ダシに使おうとしたか?いや、そんなわけないのである。困ったときに、本当に助けてほしいと思ったから、俺と誘ったのである。




塾での出会いも楽しかったし、そこから入学式で共に頑張ろうとも思った……ただ「学校」の「部活」でおかしくなった。顧問を押し付けられて、いやいや受け持っていた顧問も……


俺にやっぱり「熱血の指導」なんてできないのだろうか。





僕は早く自分に合う仕事を見つけたいなーと思った。


続く












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