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2019年06月08日01:49

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映画「ROMA/ローマ」アルフォンソ・キュアロン

レビューがないので、日記で。

シンプルでミニマムなSF映画として成功していた『ゼロ・グラビティ』のアルフォンソ・キュアロン監督。メキシコの映画監督だ。この作品は、アルフォンソ・キュアロン監督の少年時代のメキシコ、1970年代の上流階級に属している家族とそのお手伝いさんを描いたものだ。Netflixが製作し、配信公開された映画で、映画館での上映作品でないため、カンヌではエントリー出来なかったが、第75回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で、最高賞の金獅子賞を受賞した。配信公開を映画として認めるか、物議をかもした作品だ。白黒映像の美しさが予告編を見た時から気になっていて、映画館上映があるので観に行った。

人物の切り返しで、登場人物の心理的葛藤を描くドラマはない。顔のアップはない。カメラは、やや引き気味に状況描写をするだけだ。心理的内面まで入り込まない。映像は、右から左へ、左から右へ、パンをしたり、横移動を繰り返しながら、長回しの引きの画面がほとんどだ。だから、前半、特に単調で退屈だ。説明もあまりなく、ドラマも起きず、家族の日常がひたすら続くので、ドラマを見慣れている観客は、何も起きずに戸惑うだろう。

ローマというタイトルだが、イタリアは出てこない。メキシコシティのコロニア・ローマ地区に暮らす家族の物語。冒頭、ブロックの床が延々と映し出される。水が流され、その水に飛行機の影が映る。お手伝いのクレアが、どうやら犬の糞で汚れた床を掃除してるらしい。そのクレアをカメラは追いながら、広い家の中を、犬や家族たちを映し出していく。4人兄弟の子供たちと両親と祖母の白人家族。その家の家事手伝いとして、肌の黒いクレアともう一人のお手伝いさんが住み込みで働いている。

物語は、クレアの妊娠と父の不在による家族の再編がメキシコの政治的混乱を背景に描かれるのだが、あまり説明がないため、わかりづらい。どちらかというと生活音や生活ディティールが丁寧で、その日常の描かれ方が素晴らしい。遊んでいる子供たちとクレアが死んだフリをして、二人での寝そべる場面、デカいアメ車をギリギリ家の前に丁寧に入れる医者の父親と、あちこちぶつけながら運転する母親。クレアがデートする男の子は、武術マニアで丸裸でちんちん丸出しで棒を振りまわし自慢して見せる。この武術場面は怪しげな日本語も飛び出して、滑稽に描かれている。ベビーベッドを祖母と探しに来たクレアが、学生と警官たちの抗争に巻き込まれ、自警団のように学生たちと戦う彼と再会し、破水してしまう場面や、赤ちゃんを病院で取り出す場面の長回しもスリリングで印象的だ。さらに、田舎の豪邸でのパーティーや夜の山火事、鉄砲を撃ちまくるピクニックなど、様々な家族の日常が描かれる。そして、なんといってもクライマックスは、海辺で子供たちが溺れそうになるのを、泳げないクレアが助けるのを、カメラは横移動で波の中に入っていく場面だ。観ていてドキドキした。ラストは、海から戻った家族の新たな始まり。父親の本棚などの荷物が運び出され、広くなった家の中。クレアは自分の部屋へと階段を昇っていくと、カメラはパンアップして、初めて空が映し出される。横移動ではなく、空へとカメラを振り上げるのだ。冒頭と対になる飛行機が空を飛んでいる。床を磨いて下を見ていたクレアは、女神のように空へと昇っていくようだ。自らの子を失いつつも、子供たちの命を助け、マリアのような母性に輝く。少年時代の乳母への感謝。監督の思いが込められている。

町を行進する楽隊の音や空の飛行機の音、物売りの音や犬の鳴き声、鉄砲や車のクラクションなど、音楽ではなく、生活音が効果的に使われている。抑制されたカメラ撮影は、計算され尽くしているし、役者たちの動きも緻密に演出されている。決してドラマチックではないが、あるメキシコ家族のあり様を丁寧に描いてるところが、好印象だ。


原題 Roma
製作年:2018年
製作国:メキシコ・アメリカ合作
上映時間:135分
監督:アルフォンソ・キュアロン
脚本:アルフォンソ・キュアロン
撮影:アルフォンソ・キュアロン
美術:エウヘニオ・カバレロ
編集:アルフォンソ・キュアロン、アダム・ガフ
キャスト:ヤリッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タビラ、マルコ・グラフ、ダニエラ・デメサ、カルロス・ペラルタ、ナンシー・ガルシア、ディエゴ・コルティナ・アウトレイ
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