mixiユーザー(id:193044)

2019年01月25日17:36

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「永遠回帰」について

町山智浩氏による「風立ちぬ」の終結部の読解は全くすばらしい。あまりにすばらしいので、その余波が止まらない。

ニーチェの「永遠回帰」は、一種の思考実験であつて、しかも、我々が実人生のなかで、決して出会ふことのなささうな思考実験なので、それを真剣に考へる気はあまり起こらない、といつも考へて居た。人生は二度ない。そのあり得ない二度目が、一度目と寸分違はぬ繰り返しだと、ある悪魔が宣告したのだとしても、ありもしないものについて思ひ煩ふ気力はあまり起こらないのである。詰まらぬことを考へやがつて。仕様がねえな、哲学者つてやつは。で終はつてしまふのである。ところが、このニーチェ的な問題提起のやり方をないがしろにするやうなやりかたで、この問題が、俄然興味深くなることに気づいてしまつた。

つまりかうである。ニーチェは、非常にまづいやりかたで、宮崎駿が、何度も立ち返り、その度に全くの新鮮さ、全くの新奇さで、同じことの繰り返しでありながら、そのたびに新奇な、あの夢、あの煉獄めく夢に注意を向けたに過ぎないのではないか。このやうに言ふことで、私は、「永遠回帰」だの「思考実験」だのといつたニーチェの問題提起を、手酷く虚仮にして居る。つまり、そんな「問題」は考へるだけ無駄であり、答が出るわけなどない。重要なのは、繰り返し何度でも、あの夢に立ち返ること。そして、その度に夢を再解釈し、今まで見えなかつたものを見ようと努めることだ。煉獄めく夢について熟考し、瞑想することだ。ニーチェを虚仮にしなければ見えて来ないニーチェの秘密。ニーチェのことは嫌ひになつても、あの夢のことは嫌ひにならないで下さいw

人生の二度目もあたら過ぐし果つ(武邑くしひ第二句集『鶏肉事始』)
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