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2019年01月22日08:00

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生といふ名の狂気について

生は狂気に似てゐる。青春とは、生の狂気の最も高揚する時期であり、狂気は、いともやすやすと、自己や他者の破壊の衝動に向かふ。これは、当事者にとつてみれば、深刻な問題であり、他者が、それをどのやうに評しようとも、なんの参考にもならぬこと請け合ひであるだらう。本質的に無方向なエネルギーに悩み苦しんでゐる者に、何を言つてやつても無駄であるだらう。この狂気を幸運にも、死んだり又は犯罪者となつて罰されることもなく、やり過ごしてみれば、青春の当事者には信じられないだらうが、このいかれた生といふものが、愛すべきものに見えてくるから不思議である。すなはち、このいかれた生なるものは、何もないこと、「虚無」よりは、ずつとずつと、素晴らしいのだ、と思へてきて、自分自身の若き日の、または、若者たちの、発情期の動物めく、いかれた、不条理な行動が、愛ほしく思へてきて、がんばれよ、そして、死んだり、殺したりすることなく、何とか生き延びてくれよ、といふ気になつてくる。生から、狂気を削除した場合、何も残らないので、この狂気を許すことが出来ないならば、老年は辛く惨めなものになるだらう。それは、混沌に目鼻をつけるといふ『荘子』の逸話が語るごとく、知性といふ名の、「最もいかれた狂気」に過ぎないのではないだらうか。
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