今日(2日)”マイケル・サンデルの「白熱教室」”という番組を見た。
この番組は面白いのでよく見ているが、今日のテーマは”ロボットやAIは人間を超えるか”というもので、教師や医者、技術者、科学者などの若者たちがマイケル・サンデル教授と議論した。
”AIやロボットが人間の仕事にとって代わりつつあるがそれについてどう思うか”という討論では”機械のほうが人間より正確で長時間耐えうるので人間にとって代わるだろう”という意見と”どんなにテクノロジーが発展しても人間にしか出来ないことがある”という意見に分かれた。
医学の分野でも手術機械などで人間より正確に処置できるものも出てきているという話の中で、もし手術を受けることになったら正確な手術が出来る機械にするか、医師を信頼して依頼するかという問いに対しては,機械がいいとする意見と医師がいいとする意見に分かれた。
それぞれの意見ももっともな内容だった。
さまざまな討論のなかで面白い話があった。
それは現在車の自動運転の研究は盛んにおこなわれているが、たとえばこのようなときどちらにプログラムを組むべきかという話で、
自動運転している車があり、中に1人乗っている。交差点にさしかかった時突然赤信号で三人の家族が横断してきた。このとき車はハンドルを切って避けるべきか、切らずに3人をはねるか、ハンドルを切れば車はコンクリートの壁に激突して中の人間は死ぬ、ハンドルを切らなければ3人をはねて3人が死ぬというとき、どちらにプログラムを組むか、という問いに”交通規則を無視して横断しようとした3人をはねても仕方がない”とする意見と”とっさにハンドルを切って回避する”意見に分かれた。
私だったらどう考えるか、皆さんはどうだろうかといろいろ考えさせられた。
そのうち議論は”人間とは何か”と言うような話になっていった。
この番組は面白い。マイケル・サンデルは日本にも来たことがあり、そのとき大講堂で沢山の学生たちと究極の選択について議論した番組があったのを見たことがある。
AIや車の自動運転について以前書いたことがある。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1959352244&owner_id=39904538 「AI(人工知能)」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1955449729&owner_id=39904538 「コンピュータの行く末」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1953452792&owner_id=39904538 「科学技術の先走り」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1951449450&owner_id=39904538 「コンピュータは感性を持つようになるか」
など
そこから見えるのはテクノロジーの進歩が速すぎて人間の倫理や社会の在り方が追い付いていってないようなことだ。
先日も中国で全くの”試験管ベビー”が誕生したことが発表された。このような研究は人間がすべきではないと世界中から非難されたが、いずれ究極の形ができるだろう。
たとえば自分の皮膚の一部を取り、そこから自分のクローンを作り出すということが技術的には可能視されている。
(西遊記で孫悟空が自分の頭の毛を引き抜いてフッと吹けば無数の孫悟空が出来るのと同じようなものだ。)
AIについてもいずれ現在のディープラーニングより優れたアルゴリズムが考え出されるかもしれない。
AIには大量のデータ処理と大量の計算が必要だが、最新のGPUはいまや180億個のトランジスタを集積している。
トランジスタ1個が1個の細胞と考えれば、いずれ人間の脳細胞数を越えて1兆個という素子も出てくるだろう。
そのときAIは人間のように性格を持ことが出来るかもしれない。そのようなAIと人間は協調できるだろうか。
人間がコンピュータに支配され従属することになるかもしれない。
いま、ある小説を再読している。60年近くも前の作品だけど今日の状況を予言したような内容になっているので大変引き付けられて読んでいる。
読み終えたらこの本についても書いてみたい。
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