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2018年10月09日09:45

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一つの選択が未来を分けた事例・旧友たちへのメールから

  77年8月の僕です。8月10日前後だったかな。高大生の会主催の恵園キャンプがありました。恵園とは、渋川市にある身障施設兼ピューリタン教会です。そこに行く予定で、申し込みもした。でも、たまたまS園の園生の三浦修氏が「夏休みで家に帰るから、来い」と言ったので、恵園キャンプは止めて、三浦家に行きました。三浦家は足立区にありました。思い出し、2つの意味で非常に良かったと。
  一つは、「選択」の結果、三浦氏の母親の話を聞けたから。帰る時、(三浦家は社長家族であるが)一社員が運転して三浦氏の母親も同行し、僕の家に少し上がり、僕や父母とも話をしました。その中で「修の小さい時、私はごちそうを毎日食べさせるなど、物凄く甘やかした。おかげで、修はわがままで、社会性や協調性のないどうにもならない子になり、S園に入った後、食べ物の好き嫌いが出て、物凄く苦労した。友人も作れない子になった」と泣きそうな声で言っていたわけです。振り返っても、そのお母様は可哀そうでした。過去は変えられない以上、どうにもならないわけでもありますが。今の僕はその母親の証言から三浦修氏の幼年時代の様子を再現しようとしているわけです。再現材料はその証言だけで十分です。貴重な話を聞けました。
  もう一つは、仮に恵園キャンプに行っても、僕はS園の話ばかりして、キャンプを混乱させるだけだったと推察しています。事例もあります。その少し前に行ったVYSの全生園合宿でも、僕はそこでS園の話ばかりして、全生園には無関心でしたから。全生園を知りたいとも思わなかった。ならば、恵園行っても同じ事をして、ケンカにもなり、高大生の会には行けなくなった気がします。
  以上ですが、恵園行くという選択をすれば、今書いている三浦修氏の幼年時代は書けないわけですね。実録小説を書いても、それは差し引かれるから、その分だけ、中身が薄くなる。当時の選択は「今」にも強い影響を与えているわけです。
  因みに、恵園の事は実録小説には書きません。その教派の信徒でも僕はないわけだし、全生園同様、終始知りたいとも思わなかった所でもあるから。但し、そのキャンプに、器質性精神障碍を持つX君が参加しようとして、結局は追い出した事は印象に残っていますが。

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