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2018年10月04日22:00

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地の底の笑い話

先日ふらりと本屋に立ち寄って本を眺めていたときこの本が目についたので買ってきて読んでみた。
上野英信著「地の底の笑い話」

上野英信は知る人ぞ知るルポライターで筑豊に住み着き、「筑豊」を発信し続けた人だ。
彼のことを調べてみると
 上野英信:本名上野鋭之進(1923−1987)
 学徒出陣で見習士官として広島に赴任中に被爆する。
 戦後京都大学文学部に復学するも途中退学、その後九州で炭鉱労働者となり十数年働く。
 炭坑夫として働く傍ら労働者の文藝サークルを組織して自らも作品を発表する。
 「追われゆく坑夫たち」で世に認められるようになる。
 サークルからは石牟礼道子など数人を輩出している。
となっている。

「地の底の笑い話」はとても笑い話と言えるものではなく、明治大正昭和にかけて中小の炭鉱で炭鉱夫として働いた古老たちの話を纏めたものだ。
筑豊の方言で語られるその生活は悲惨でどんな罪人より酷い。
口入れ屋からだまされて連れてこられたら最後、タコ部屋に押し込められて背が立たないほど狭い坑道で這いずって石炭を掘る。給料はほとんど払われず、逃げ出そうとして見つかると半殺しにされたり運が悪ければ殺されて埋められてしまう。
長崎の小島(端島など)に送られると逃げ出そうにも回りが海でそれもかなわない。
そんなところからなんとか逃げ出した人でも、行く先はやっぱり炭鉱しかない。
筑豊はそんな人たちや食い詰め者の吹き溜まりとなっている。


私は以前ふるさとを喪失した話を書いたことがある。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1966671718&owner_id=39904538
物心付いたときから高校1年まで住んでいたのが筑豊で、子供の頃の思い出といえば筑豊でのことになる。
回りを炭鉱に囲まれボタ山はすぐ近くにあり、小学校や中学校の同級生には親が炭鉱に勤めているというのが多かった。
私の父親も三菱飯塚鉱に勤めていたが、電気関係の技術屋だったので坑内に入ることは無かった。
回りの炭鉱は住友忠隈炭鉱、三菱飯塚鉱、日鉄二瀬炭鉱、麻生炭鉱、など大手が多かったが、小学校の高学年から中学のころにかけて不況と石炭が取れなくなったことで次々と閉山していった。
同級生たちも長崎や北海道の炭鉱へ引っ越していったりブラジルなどに移民したりでチリジりになっていった。

しかし子供の頃は特別なところだとは思わなかった。
筑豊の真ん中を遠賀川という大きな川が流れているが、いくつかの支流も含めて流域には炭鉱があったので川の水は真っ黒だった。炭鉱では川の水を汲み上げて選炭に使う。どういうことかというと採炭した石炭を水と一緒に斜面に流す。質のいい石炭は軽く石は重い。下から順に品質に応じて並ぶ。一番上は石(ボタ)だ。ボタは捨てる。こうして山になったのがボタ山だ。
一番下は池になっており、そこに水を溜めると粉炭が沈殿する。ときどき水を抜いて粉炭を取り出す。粉炭は豆炭や練炭の原料となる。
池を出た水は川に戻されるため川は真っ黒だ。
しかし支流に高田川というのがあった。高田川の流域には炭鉱が無かったので清流だった。子供の頃は高田川で魚を取ったり泳いだりした。
中学校の校歌に”ちとせ清し高田川”という文句があった。

子供の頃はよそと変わらぬ自然豊かなところだと思っていた。
筑豊がよそと違った場所だと知ったのは東京に出てきてからだった。
それでも子供心によそとは違うなあと思っていたことがある。
筑豊は地下の石炭を掘りまくっているので地盤沈下がある。
田んぼや畑が沈下して水がたまり、広い沼のようになっているところがあちこちにある。
それを”カンラク”といっていたが格好の魚釣り場だった。
いわゆる陥落池である。
地盤沈下はひどいもので、道路の両脇は家の重みで沈下し、道の中央部分は高く残り道路はアーチ状になっていた。
子供のころ住んでた家も柱が傾いでいた。
なので地盤地下がひどくなると数年(数十年?)毎にその地区は一斉にかさ上げして元の高さに戻していた。


しかし筑豊が特殊なところであったために筑豊を舞台とした小説や映画がいろいろある。
五木寛之著「青春の門」ーー何度も映画やTVドラマになった。
野坂昭如著「骨餓身峠死人葛」(ほねがみとうげほとけかずら)−−−ホネガミ(葬式のこと)
安部公房著「おとし穴」−−閉山した炭鉱跡を舞台にした不条理劇
など

私は筑豊の知人や親類とも疎遠になり行くことも無くなったが、「地の底の笑い話」を読むと古老が話す方言を完全に理解することが出来る。それどころかその語り口が耳に響いてくる。
実家もなく私には帰るふるさとは無いが、この本を読んで体には筑豊が残っていることを知った。

上野英信の「追われゆく坑夫たち」は東京に出てきて学生の頃買って読んだが、当時は上野英信を知らずただ筑豊について書かれている本ということで読んでみた。
岩波新書で1964年版で値段は130円となっている。
「地の底の笑い話」は同じ岩波新書で760円+税となっているが、2017年第19版で初版は1967年となっている。
50年のあいだ19版も版を重ねるということはそれだけ読まれているということになるが、どんな人たちがこの本を読んでいるのだろう?

写真は
左:「追われゆく坑夫たち」
右:「地の底の笑い話」



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