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2018年07月29日18:23

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生産性論争

自民党の杉田水脈衆院議員(比例中国ブロック)が性的少数者(LGBT)カップルを「生産性がない」などと指摘し、行政支援に対する疑問を月刊誌に寄稿した問題で、批判の声があがっている。
LGBTに生産性がないなら、子供のいない安倍夫妻はどうなる?一生独身の男女も同じく生産性がないっていうのか?LGBTだって納税者だ!・・・などなど。

当初日本のマスコミはこの報道をしなかったがBBCやアルジャジーラなど海外のテレビではとりあげられ、ネットでどんどん拡散している。そして自民党本部前で彼女の辞任を求めて5000人の抗議デモが起こる事態にまで発展している。
もうこれはLGBTだけの問題じゃなく、この社会で差別やハラスメントを受けているあらゆるマイノリティーの人たちが賛同共鳴しあって起こっている行動なのだと思う。
https://mainichi.jp/movie/video/?id=5814581275001

この杉田水脈氏は、伊藤詩織さんがジャーナリスト山口敬之に睡眠薬をもられレイプされた事件に関しても「女の側にも落ち度がある」と発言している。同じ女の立場なのに、被害者である詩織さんにそんなことを言える杉田氏の頭はいったいどうなっているのだろう?
(伊藤詩織さんレイプ事件の真相はBBCで「「 Japan's Secret Shame(日本の秘められた恥)」という番組が放映されたが日本のマスゴミは全く報道しない)

「生産性」があるかないかで、人の価値を判断するのは人権侵害だけでなく優生思想の一種であると危険視する声がある。
そして彼女の一連の発言は、ちょうど2年前の7月に起こった「相模原障害者殺傷事件」で19人を刺殺した植松聖容疑者の思想(障害者は生きていてもしょうがない。彼らには生産性がない。だから抹殺すべきだ、というような身勝手な優生思想)を想起させるという人もいる。

日頃わたしたちは、できるだけ多くの人ができるだけたくさん幸福であることがよい、と考えている。言い換えれば、不幸や不快ができるだけ少なく、小さくなることがよい、と。このアイデアを倫理学的な原理にまで高めたものを、功利主義という。
 だが、功利主義は実は危険な思想である。功利主義に基づくと、他人に多くの快楽や幸福をもたらす人の生は重んじられ、逆に、他人に苦労を要求せざるを得ない弱者の生は軽いものになってしまう。 
その背景にあるのは、「生産性」が高く、効率が良く、その上費用対効果がいいものでないと価値がないとする考え方だろう。すべてが数値化され、どれくらい経済効果が得られるかのみに換算される社会。そういう価値観は結果的には「弱さ」を抱えた自分自身に牙を剥く。

多くの人は 社会的弱者(マイノリティー)を自分と区別して見ている(差別しているという意識はなくとも)。そしてまた多くの人が自分はそっちのグループ(被差別側)には属していないと思っている。しかしいつなんどき自分がその立場になるかわからない。たとえば高齢化社会では、今まで「人の世話になるのはいやだ」「人に迷惑をかけてまで生きていたくない」と思っていた自分がいつか人の世話になり迷惑をかけて生きていく立場になっていく。つまり自立して生きてきた強者が弱者のグループに入っていくからだ。

そのことを認めないで「生産性がない」ことを「価値がない」と一刀両断してしまうと、この世の中はますます生き辛く不寛容で分断化された世界になっていくだろう。それなのにこうして差別的発言が後を絶たないのは自分がいつ社会的弱者になるかもしれないという想像力の乏しさにあるのではないか。

先日7/6〜の西日本豪雨のときに避難せず家にとどまったために救出が難航した高齢者たちのことを老害だと書いているブログを読んだ。緊急災害時はふつう人でも、まさか自分のところにはこないだろう、過去に一度もなかったのだから今回もないだろうと信じ込もうとする「正常性バイアス」が働いてしまう。だから判断力が落ちて体の自由がきかない高齢者はなおさら避難に対して二の足を踏むだろう。それは十分理解できる。しかしそういう彼らの行動が結局はまわりの足を引っ張り、自分だけでなく救出してくれる人までも危険な目に合わせてしまう。それを老害というのはひどい言い方だが事実である。
社会的弱者である障害者や高齢者を日頃「社会のお荷物」「生産性のない」人と認識し、避難のときは「足手まとい」だと思っている人は大勢いる。が思ってても言えない。それをこのブロガーは代弁しているだけかもしれない。そう思うとなんともやりきれない気持ちになった。

ひどいヘイト発言があるたびにヘイトの議員を辞めさせろ、差別をなくせ、と抗議活動が起こるが何人議員を辞めさせても、政権が変わっても、差別はなくならない。永遠になくならないだろう。だって差別の心が私たち一人一人の中にあるんだから。

障害者を差別していた人が事故や病気で自分が障害者になることだってある。お金持ちだった人が、自然災害で家財も会社もいっきに失い貧乏になることだってある。自分に過失がなくても、差別していた側から差別される側へ、いつなんどき運命が逆転するかわからない。

ましてや人は誰でも年を取り、体の自由がきかなくなり思考の柔軟性もなくなる。弱者を差別していた自分が、やがて差別されるほうの弱者になっていくのは必至だ。

そういうふうに、もっと多くの人が想像力をはたらかせて弱者の立場になって考えることができれば、より多様性を受け入れたり、助け合えたりできるのではないか。 差別に対する一人一人の意識を変えていくしか方法はないと思う。




杉田議員辞職を、5000人が抗議
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5219448
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