怪我から21年、主治医からは「多発性頸椎ヘルニア」を言い渡され
障碍者手帳の交付を受ける事になったが、「もしかして良くなるのでは
」の
1%あるいは0.1%の確率の治癒に期待をして”ホリステッィク医学”に近づき
ホリステッィク医学主催の幾つかのセミナーや施療を受け続けてみたが
残念な結果でしかなかった。
医師の方々も、それまでに学び・臨床を繰り返している西洋医学一辺倒から
患者を救済できる他の方法を探っておられ、行着いた一つが”ホリステッィク医学”の
患者自身の持っている自己治癒力の引き出しなのでしょう。
私自身、怪我をするまでは医療の置かれている立場を考えた事もなく
熱が出たら「冷やして熱さまし」、傷を作ったら「消毒・殺菌」
傷口の化膿、吐き気を伴う症状の現われには医療機関への飛び込み
自ら身体のケアを行うことや多少の医療知識を身に付けて対処することは
ほんの僅かなことでしかなかった。
”若さゆえの愚かさ”などと笑ってすまされる問題ではなく
食同様、排泄も含めて身体能力を1人1人が考えておかなくてはならない。
”たかが凝り”でも、凝りの範囲は広く凝りから起きる片頭痛もあれば寝違い、ギックリ腰
四・五十肩、猫背やO脚などもある。
食後の歯のケア同様、ほんの少し自らの身体ケアを行っていれば防げる症状はある。
世界に通じるビジネスマナーとして幼児からの英語教育に傾倒しがちな社会風潮
同様、
自らの健康を自ら守る考え方が広がっていけば、認知症や要介護状態も
改善の方向に向かって行く。
地方の要介護状態は、1人ひとりの健康・医療への関心の薄さから上昇の一途を辿っている。
その全ての皺寄せが行政や医療・介護に寄せられている。
”たかが凝り”から人生の終末期に認知症や要介護者の道を辿ることになるのは
”考える葦”としての人として情けない限りに思えてならない。
凝り・歪み・痛み・痺れなどの慢性期症状からの抜け出しが、少子高齢化の諸問題解決への
近道の一歩になる。
人口の多い地区には医療機関も多く「医療に任せれば」の流れが主流になる。
「医療任せ」で良いのか、1人ひとりが考える必要がある。
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