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2018年05月01日13:54

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S園の話二つ・旧友たちへのメールから

  まず、77年当時のS園は障碍で室が分かれていたが、そこに行ったサポーターたちも行く室で温度差が見られた。そうだろう。身障室の場合、身障園生たちが職員虐待みたいな事も訴えられるから。園生と職員の両方の声が聞けたわけである。僕もそこにだけ行った。それに対し、知的障碍室は、言っては失礼になるが、そこの知的障碍児者は重度で、虐待の事は訴えられないから、どうしても職員の話だけになる。それでも、そのような所に行った人たちは特にベテラン職員の話が印象的だったわけだ。植物人間室の職員は中学卒から23歳くらいまでの若い人ばかりで、職員の話も聞けなかった。そこにだけ行き、「意義も、魅力も感じない」と言って、早く止めた例も僕も複数知っている。僕の場合、園生と職員の声の両方を聞いたから、極めて印象に残り、考えさせられ続けているわけである。
  そのS園も複数のトラブルに巻き込まれ、1年くらいで僕は止めたが、長く行き続けたらどうだったろうか。下手な推測はできないが、次第に「園生の声を世間に伝える」事を身障室サポーターたちで考え合うようになり、当時所属していたVYSや富士福祉事業団の会報とは別に、「S園ミニコミ」を企画した気がする。でも、トラブル自体は起き、数年で行けなくなった気もする。例えば、当時のS園は医療面にしても、脳性まひの硬直を緩和させるため、体に悪い医療用麻薬を投与したり、9月初めの真夏日の時に日光浴をさせるなど、関係者は思考がマヒしたような状態だった。僕に限らず、いつサポーターと大ゲンカになってもおかしくない状態だったから。尚、仮にミニコミした場合、僕もS園や職員を激烈に叩く文章を書いたと推察している。今でこそ、S園の事も「良いものは良い、悪いものは悪い」という書き方だが、78年当時はサポーターの仲間内に対しても僕は「S園は潰さないといけない」など、過激な発言ばかりしていたから。そのような事も思います。

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