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2018年04月29日12:27

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昨日の夜の分。


月がやたらと眩しい。
マスクしていてもやたらと香りで存在感を出す花も居た。
ツツジは日差しでしんどそう。


さておき。


砂糖の名前覚えた。素焚糖(すだきとう)だった。
サトウキビを原料とした何某。コーヒーに入れるとまろやかで美味しい。


朝ごはんは雑炊にした。
塩昆布、カツオだし、鰹節を出汁にして、鶏胸肉とワサビ菜の切れ端としめじ
と卵。

夜は、ナムルの残り、2週目の豆苗(あと1日育てても良かった)と新玉ねぎとキュウリのサラダ、鶏胸肉とピーマンとニラと人参のバター醤油炒め。胸肉の水分が飛ばないように小麦粉振りかけて。


ちゃんといただきますはしなくてはなと思った。
というのが今日のご飯の感想。恵まれている。


そうして。


どこまで書けるか分からないけど、考えた話。


というか、量子コンピュータの記事を見ていた。
0と1を並列的に処理できるっていうことは知っていたけど、どうやらそれだけではないらしい。理解できる頭が今はまだないけど。



で、サーフィンしていたら、面白い記事を書く人を見つけた。
いわゆるポストマテリアリズムの考え方を持っている人なのだろうけど、自分もそうだろうし、ちょうどそういう本を読んでいるし。

ポストマテリアリズムっていうのは、唯物論から離れた価値観を持つ人のこと。
スピリチュアルとかも含まれるかも。



まずは、分かり易い話から。



 
風邪はウイルスが原因だとされているけど、そのトリガーは心だっていうもの。
何か自分を不自然に抑圧していると、風邪を引く。風邪っていうメカニズムはデトックスのシステムの1つなのだって。

この話で思い出したのが、自分も毎年年末に風邪を引いていた時期があったこと。
風邪を引かなくなることは外界とのバランスが取れていないっていうことなのだなって思うと、正常な作用だった。去年末は平気だったのも正常な作用。

正常な分解機構を持っているのと、外界に鈍感になっているのかは結果的には同じことだけど、プロセスは全然違う。


想起したのが弟子のこと。
もはやこちらから働きかけるしか会うことはないから、関係は解消されているけども。


この人、やたらと病気で休んでいた。
壮大な虚構でないとすれば、抑圧した部分が多いってことなのだろう。それは接していて気付いた。敵を作らないように朗らかに人と接しているように見えるけど、何か創作感がある。というより虚構感か。無理して繕うと、どこかにガタが出るという典型に見えた。

この辺りが現代医学の限界なのかなと。
風邪の特効薬なんて出てくるはずがない。
免疫回復のシステムそのものだから。


自分の本心って当たり前に把握されていると思われているけど、そんなに簡単に見えるものじゃない。常識とか価値観とかに縛られなかった時の自分が本心。


トンデモ説っぽいけど、日本人が特別だっていう話もあった。

1つはDNAが縄文人だけ違うって話。
歴史の定説では、アフリカ(だっけ?)辺りから、人類の系譜が始まって移動していったのが現在の人だってことになっているけど、縄文人のDNAを調べたところ、系譜が分からないっていう論文を和訳してくれてた。

もう1つが、バベルの塔関連のことで、今使わる7000弱の言語の半分以上が音と意味で繋がるけど、日本語はそれから漏れているという話。


だから何なのだって思うかもしれないけど、俺が思ったのは、日本人で良かったなってこと。


ここからが大変。

で、世界もとい宇宙は人間が観測するまでは存在しないっていう話もあった。

オカルトチックになるけれど、これってかなり素朴な話だよなって。
要は心の話なのだけど、心じゃ分かりにくいなら意識。


誰かの世界が意識の範疇で決まるっていうことは、普通のことだと思う。
自分の知識の外に在るものは勝手にあると思っているし、在るものは当然にある
と思い込む。ないものはない。


対人だともっと分かり易い。
相手から自分のことを評価されたときに、自分は本当はそんなことないのにとか思うとき、相手の中でのその人は、相手の意識の中ではそういうものとして存在している。


そうやって振る舞いを固定されるのは量子論的な考え方かも。
勝手に固定化されると不自由だなって思う経験則がいっぱいある。


なにが言いたいかって言うと、存在って客観的なものではないってこと。


自分が存在していることが客観的だと考えるかもしれないけど、ある人にとっては高評価で、ある人にとって低評価であるとすれば、その人の存在は他人から見れば両極端に存在しているという。

それは逆から見れば、自分にとっての世界は、自分次第だということになる。
対人でも対社会でも対自分でもなんでも良い。


もう時間もないから、ここまでを暫定として最後。


自分が日本人で良かったなって思うのは、日本語の語彙が豊富なところ。曖昧さを曖昧なままで保ってくれる。日本に生まれなかったらなかっただろうなって思うところ。

意識が世界を形作るっていう文脈でいうと、意識とはなんぞやっていうと、言語化された無意識で、そういう意味でも丁度良い。

学ぶことを止めろ、考えるのだ、っていう13歳の大学客員の話も面白かった。
自分としては、もう考える材料としてしか知識を収集していないから大丈夫かなって。

あと、自分の人生の目的も分かった気がする。言わないし言えないけど。


おしまい。

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