仕事初めの起床時間より早く起きて歯磨き、洗顔、髭剃り。朝ごはんは温うどんと梅干し味付け海苔ご飯。昼ご飯はキャベツとパプリカのたまご丼。この辺りに買い出しに出かけた。主観的にはただの連休なのだが時節には乗ってあげても良い。クリスマスに野ケーキ
ただの連休気分でぜんぜん忙しくない。ありあまる富(時間)。きちんと夜寝て朝起きて髭も剃ろう。さておき。自分の悪癖について。プライベートで人と話すことがないから忘れていたが、ふと何か話すことを思い付いて、冒頭を話し出したあと、すぐにブレーキが
感情は目に宿るというのに、自分だけがその視線から仲間外れ。誰かに見てもらうしかない。今年の仕事はおしまい。なんだかすごく楽しんでいた。良いことあったのか? ないと思う。いや、どうなのだろう。誰かが生きていることは良いこと。デカルト曰く、考え
二度寝でうつらうつらしている時、夢とうつつの狭間で遥か高いところ(飛行機とか)からパラシュートもない状況で落ちたらどうなるのかというシミュレーションをしていた。高所は苦手めだから足ががくがくする。確実に現世からはご退場だが、たぶん数分の猶予
遊んでいるのか、遊ばれているのか。いずれにしても変わりはない。noteのアプリ、フォローしている人の更新が通知されて良きな。検索して読むのも並行している。はてなブログは語句検索しにくいのがなんとも。ジャンルで読みたい訳ではないのだよな。さておき
見るものも見て行くところも行った。過不足なく綴られて完結した物語のようなあの日。早めに寝たから早めに起きた。午前5時過ぎ。カルピスと水を買いに外に出る。寒空には半分こで残った側のようなお月様。ちょっと小さい方が選ばれた感。そのままいったん寝
ふらふら揺れ動く局地的な世界線の中、移動することではなく生活環境を調えることを選択した。環境は合わすものであって調えるものではないという盲点に焦点が当たったらしい。朝起きて、どうしようかという逡巡はなかった(と思う)。なんだかぼーっとリトル
話したいことはないが、話すことはある。書きたいことはないが、書くことはある。読みたいことと読むことは、どちらもある。世界線が戻ってきて予定通りになった。野ケーキ(というらしい)と赤のスパークリングワインを近所の公園でいただき、通常営業に戻っ
時間に対してはぼーっと、事象に対してはきちんと。新調したシリコンカップがぴったりはまったので、本日の弁当も貼ってみる。副菜はブロッコリーをレンチンし、マヨネーズと鰹節に醤油を垂らして和えただけ。美味しいです。漫画もアプリで並行して10本弱読ん
弁当のメインのおかず用のシリコンカップがボロボロになったから昨日はアルミホイルで代用し、本日百均で新調。ちょうどいいサイズ。昨日のアルミホイル代用の弁当がうまそうと評されたため調子に乗って貼ってみる。変哲もないレンチン目玉焼き。もやしナムル
「世の中には現実を楽しむために飲むよっぱらいと、現実を忘れるために飲む酔っぱらいがいる。父親は後者だった。」 by「君の話」自分の父親も後者だった。忘れるために飲んで、思い出すことすらできなくなった訳だが、これ
年末とクリスマスの空気に内心が浮かれている。たぶんほとんど変わっていないのに、温度差で自分の対応がやや不親切に見える。浮かれているといっても別に何かが起こる訳でもない、ということもないのか。次の演劇は来月の大阪と決めてまったく意識の外だった
夕飯の食材の調達のため外に出ると、進行方向に濃いオレンジの夕日、反対側にはまんまるお月様。帰り道は最短ルートではなくなるべく月に近づく道を取った。満月を見ると還りたくなるのはなんなのだろうな。昨日の演劇の中で人は月とおなじような物だというフ
本1冊、演劇1本、無数の雲と遠くの山に雪化粧。面影と満月が1つずつ。フルコースのようなありふれた1日。起き抜け。ウォームアップでインターネットの波を漂いいくつか文章と漫画を読み、朝ごはん。竹輪は味が濃いから残っていたささみ1本で代用した雑炊
動物の動画をいくつか見て日記時間に入るのがルーティン。柴犬、猫、カワウソ。カワウソの鳴き声は意外と賑やか。カワウソカフェがあったら音量が凄そうだ。今宵の月は卵みたいな形だなと、卵を買うことを思い出した。明日の朝ごはんは竹輪とレタスと冷凍ご飯
更新されない思い出は呪いなのか。個人的には記念碑っぽい。新刊枠の小説で架空の幼馴染が放課後に流れる蛍のひかりで替え歌を唄った時に、離れてしまっても蛍のひかりを聞くたびに私のことを思い出すなんて呪いみたいねと評していたシーン。あれ、なんだかデ
何処かで「言葉が届く」というフレーズを見かけてどういう事態なのだろうと、素朴に真摯に考える。ふわっと感覚的に捉えれば分かるしすばらしいことだろう。ただ、具体的に考えると、ナカには色々とありそうだ。主張が通じる、は抽象的な議論なら良いかもしれ
なんとなく寂しさを感じる1日。人間味。寒さにより体温を求めているというよりはバイオリズムの波のような感じ。生身に引き付けられる周期。こういう味わいも良い。別に失敗でもなんでもない所作がとても重くなるような気分で、宇宙のスケールでの思考によっ
本日は晴天なり。外は寒くても晴れていると仕事の昼休憩に外でお弁当食べることを挑戦したくなる。風がなくて日向であればまだまだいける。帰り道には半分ちょっとのお月様。もう少し外用に整えた文章を意識しようという次第。ここで言う意識は内観というかそ
お月様に挨拶するついでにビールの空き缶を捨てに行くと薄く広がった雲にかくれんぼ。全然がっかりしない自分。本日は漫画読んだり動画見たりと休日を満喫していた。並行的に頭がぐるぐる回る。朝ごはんは茹でうどんとおにぎり。握る才能は皆無。いや、僕の中
なんとなく未来のことは考えないようにしている無意識を引っぺがさないと。これは思考停止に当たる。なんとことを考えていたところ、お友達の星座占いに便乗したら、来週は未来(遠いところ)から招待状が届くのだとか。面白いな。本日の朝ごはんは、作り過ぎ
今月はこのシフト最後の日。朝イチョウ並木を通る手前、昨日写り込んでいた女性が建物から出てきたのを見た。なんで分かるのかというとたぶん動きの感じとか体格とか。昨日より2分程遅かったからか、小走りで前を駆けて行った。今月はシフト上もう見かけるこ
イチョウ並木を撮ってみたのだが思いのほか葉の間がスカスカで僕が見ている風景とは乖離している。たぶん光の反射の捉え方が視覚とカメラでは違うのだろうな。カメラの方がきちんとしているのだろうが、きちんとしたありきたりな風景を貼るのもいかがなものか
かえではたまたま通勤路の個体が艶っぽいのかもしれない。曇り空の下でも変わらない。やはりイチョウは明るいところで映えるなというお気に入りの瞬間がある。通勤中のあくせくした流れの中で上手く撮れるか分からないが、僕が見ている美をお裾分けしたい気分
雨に打たれて元気がなさそうなイチョウ。うってかわって艶っぽくなるカエデ。濡れる足もとより気になる雨の作用。課題を頭の隅に置いて持って帰ってみると、黄色と紅の光に対する映え方というか目がどう捉えるかみたいなところなのかなと想う。反射で映えるイ
変な夢を見た。二代前には亡くした伴侶の足を接合した人が居て云々。確かに祖母の祖母とか知らないし、子供ができても孫の孫も知ることはない。他にも従兄に寝嘔吐をかまされるとか、なんだろう。親類を大事にしていないみたいな無意識の抵抗を感じる。確かに
心ここに在らずの1日。訪問先は何処かの間。読みは通常当てに行くものだと思う。個人的にはあまり当てたいということはないし寧ろ外れて欲しいすらある。今となっては当たっても外れても良いのか。でも、当てられること自体が見られているという意味で嫌な人
もう1週間前だったらもっと異次元的な存在だったかもしれない。原色だから固まると存在感が凄い。ともあれ先週は仕事していたししょうがない。時間の流れで地面に移動した黄色。これもこのタイミングしか見られないだろうし、見たまま美。バトンタッチで色付
夢に出てきた誰かさん。二日酔いの様相で、離れた間に良い感じに生きていることの報告があった。実際にも良い生活ができていると良いのだが。もう1人出てきたがまだ離れてないので言及はしない。夢の中の風景がかなり鮮明になっているのは僕の現実が鮮明にな