腹巻あたたかい。ただ、締め付けられて腰というか内臓の薄さが自覚される。貫禄がある人とか恰幅が良い人とか、物理的には脂肪が詰まっているのだろうが、シンボル的には時間・年輪が積まれている感じで、人生きちんと過ごしている感がある。僕の時間はどこに
書く人でも話す人でもなく、「読む人」である自分で居ること。ご馳走様の1日。良い夢と悪い夢から始まる。悪い夢は長く過ごした元恋人さんが家にやって来て泊まらせてあげるのだが、起きたらトイレに籠っていて、僕が「結婚してくれないと〇んでやる」と喚く
もっと人とも戯れて良い。誉も外在的要因。しまむらにて暖かそうな靴下とともに腹巻を買ってきた。二度寝が捗らない時を分析すると、腰と布団の間に空気が流れて冷えるからだと気付いたからだ。明日の観劇にも流用できそう。ずっと追っかけている演劇が、この
観測することは観測されること。対象に何も影響を与えないことはない。帰り道の梅がそろそろ満開な感じ。こちらの笑みも連動する。もうちょっとしたらどこかしらの公園でも行こう。梅は微笑みを返してくれないが、そんなのどうでも良いこと。実生活。この事態
文章が排泄物だとしても、できればなるべく整えておきたい。どーも、そこらのバス停に居るような人です。この話面白いから、また後で。ひとまず日記的ニッキ。出勤時の空には真っ白な半月。なんとなく先週買ったニベアにはラテン語で「雪のように白い」という
大事なのはおっかなびっくりの不安ではなく覚悟と楽観。竜が出てくる夢と、引っ越しする夢を見た。竜はなんとも神龍感があった。特にお告げとかはない。雷状のビームには打たれたが(痛くはない)。白銀と、深緑の2頭(?)、水辺からぐぉーと顕われた。鱗の
何も与えてないのに僕の存在に嬉しそうにしてくれることが、嬉しい。どちらが先なのか定かではないが、いずれにしろこの応酬は減らないから、交換ではない。さておき。昨日美学の記事を検索しているとき、ちらっと自分の他の文章も眺めた。日記としての時の流
既に思ったより持っているものがあることに気付くこと。寒さや雨等、外在的なものによって行動を変えないこと。規則は実践するもの。叙述することはできても記録することはできない。我流の自省論発想がわらわら湧き上がって繋がってきたとき、そろそろ人生劇
世界線の発想の突拍子のなさへの衝撃なのか、全く体が部屋から動かなかった1日。本屋に国際私法のもう少し詳しい本を買いに行く感じだったのに。とても幸せな世界線なのだが、なにせ僕が持ち合わせている全ての基準が、「それはないやろ」と言ってくる。直感
金曜日はなんとなく自炊をしないということが慣例になっている。トロ入りお刺身三種盛りが半額だった。最遅番のうま味。レタスをちぎること、もしくはお弁当に使った副菜の残りを食べることが自炊に含まれるのであれば途切れていないが。自炊すること自体に価
見ようとすることは見えるものの中から選ぶことで、見えるものが拡がることではない。帰りの道筋に早咲きの梅(らしき花)があり、日に日に色を付けていくのが楽しい。見上げると雲でおぼろげな月。綺麗な世界。夢に居酒屋調な異世界が出てきた。ベースは梅田
仕事でお客さんから電話越しに「使えない、不満が残る」と言われた。僕自体にというか部署全体のようなもので、仕事の範疇外だから仕方がない。僕がこの人とプライベートの知り合いだったら、では一緒にインターネットで調べてやってみましょうかとはなるが、
帰り路で見上げたお月様。本日はやたらと輝いている、イカス! と思っていたら、どうやら特別な名前が付いているモードだったらしい。小さく見える満月、ウルフムーンとか。高原が小さいから輝きが増しているのか。プリズムの冠みたいなものも見えたが、次の
本日もこんばんは。今週は最遅番のため、書き終える頃には次の日になっている。noteが余計に褒めてこないのはちょっと安心。単純な「褒め」に対する変な警戒心がある。なんだろうな、承認欲求がないというか、ひねくれ者というか。承認は褒めを表現することで
起こったことは自然なことであり、起こらなかったことは不自然だったから。誰もが自らの指導原理(by自省録)の元に生きている。故に、交差が良き。本日の宵(酔い)のお供はなんとなくいつもの一番搾りではなくハイネケン。大学時代の友人が良く飲んでいた
何があってもなくても変わらない、自分にも世界にも期待しない気楽な世界観。ある飢えには1日2,3回、もう1つは1日に少なくとも1回、残りは7日周期がちょうど良さげ。緊張としての「見られること」というのは、監視ということではなく、生活上の存在が揺らぐ
「触れないものを信じるのは馬鹿のすることと聞きました」。イヤホンから流れる触れない音楽が歌う。ここでいう「触る」は、五感で触れられるという意味なのかもしれない。ちなみに、五官も誤字ではなく、感覚器官を差している。対象を捉えた後の感じを表すの
こころがふわふわ漂っている。生物的な欲求不満が解消されていなくてもすっきりしてしまったのは世界に対して素直になれてきたからだろうな。外にも内にも居ない自分で生きている。全てのいまはなれの果て。(ふわふわしているのは、現実的に見かけられるのが
行ったことがない部屋で大雪注意とピコピコ注意書きが出てくるテレビ画面。裏には崖があり、ここに積もると危ないなぁと頂上を眺めると、巨大(遠近感)なコーヒーカップとソーサーが置いてあった。そんな夢と添い寝の妄想で始まる一日。現実でも昼休憩のとき
二度寝。誰かの自暴自棄による事件に巻き込まれそうになり未然に防いだが、仕事までに睡眠時間が全然ない夢を見た。夢から現実に戻る境界で、自分ってそもそもいま何の仕事していたのだっけとあやふやになる。パーソナリティというか事務情報のロードがうまく
その出来事に可能性を収束させることを目論んでいるのではなく、方向と程度が知りたい。だから、断られても、まぁそうかと思うだけで、評価は不変。自分に起こった衝動は叶えられる限りなるべく実現することにしている。今日は起き抜けにアイスが食べたくなっ
酔いどれになると世界に対してデレてしまう。本性とは。お邪魔した人には挨拶をしてお邪魔したから大丈夫なはず。(知らんけど)誰かの記事にコメントするときにお邪魔するという感覚があるのは、そこは当人が精神世界の中で拵えた場であるから。挨拶とかその
二度寝する前に飲み会っぽいつぶやきを読んで、飲み会気分で微睡む。通ってきた数々の飲み会の気分が一挙に押し寄せ、居たたまれない心持ちになった。飲み会では楽しむが終わった後に空虚になるというのはありがちだが、そういう話でもなさげ。最初の飲み会は
暦では明日から三連休だが明日は休日出勤。ワイシャツのアイロンがけをしながらブロッコリーと人参を下茹でし、鶏むね肉に小麦粉をまぶし、バターで炒めたものに加え、ウスターソースとケチャップとマヨネーズで味付け。副菜は3日目の小松菜と人参の胡麻和え
職場の駅ビルの地下駐車場の一画に喫煙ルームがある。地下特有の空気を感じながら向かっているときに何かフレーズを思いつくことが多い。リラックスしているということもないのだが、しんとした感じが良いのかもしれない。最近はもっぱら内部的に上機嫌で、わ
あるべき標準という架空のものさしで世界を測っている。月初めで残業デー。去年の暮れ、最早番の人員足りないことに気付き、早めに来て多めに残業しましょうかと提案したところできるのであればとのことだった。そのおかげで昨日は帰ってからお弁当作るまでの
初仕事。職場の自販機で水を買うと当たってもう1本。幸先が良いのか話題を提供してくれたのか。いい年になりそうデス(棒)。何が起こったらうまいこといった年になるのかと一頻り考え、思い付いたことが全部起こらなくても楽しめそうではあると想う。でも、
くすっと微笑が漏れて現実が加速する、そんな存在は楽しい。品揃えて。さておき。明日から仕事のため今晩は副菜まで作った。白菜の浅漬け、鶏肉と人参とピーマンと玉ねぎのポン酢炒め。あとベビーリーフ。紅白も何も見てないが、充実した連休だった。これ以上
相変わらずの一日。相続まで読み切るつもりが半分までしかこなせず。300頁くらい。ぐあんぐあんしてくる。情報が氾濫してくるとはちと違う感じなのだが、なんなのだろうな。近場のスーパーは空いてないからコンビニでメインとサラダを調達。鯖の水煮缶にして