むしゃくしゃは去った模様。桜が優しげに見えた。ピンクの絨毯の増殖率は凄い。この分だとあと1週間くらいで満開なのでは。 さておき。 何を言語化しようか。言葉はメタだが、メタではない自分の語彙も在るのかもしれない。お弁
自分の内部が感情的だった。仕事に行きたくないという感覚はとても久々。たぶん席替えの件だろう。座って見ればなんてこともなかった。内部の感情が外の行動に影響するのは誤差。思いの外歩くのが遅かったから途中から早歩きしなくてはなら
読み返して思ったがやはり当日の文字化は荒くて薄いな。日常パートをこれ以上精緻化するつもりもないが。 本日は休養日。もも裏が筋肉痛になっていた。正しい筋肉を使って歩いていたらしい。砂利がじゃりじゃり主張してくるものだからしばら
そろそろ穴ぐらから出るか。と、ほぼ満月の月を眺めながら帰る。文字化できる情報が多い1日。 「他人の中に在る自分を評価するのは自分ではなく相手である」ということを考えながら、カップ麺と梅干ご飯の朝食。ちなみに明日も
夢がひたすら永い。実家をモチーフにした催しものというか、お祭りがあった。外観よりも中は随分大きくて、銭湯みたいなスペースもあったり実際にはない小部屋のスペースもあったり、混沌としている。知っている人とか知らない人とかたくさ
「書物を捉えるのは孤独な脳だが、映画を捉えるのは、何千、何万の耳と目だ」進んでいるのか戻っているのか、素朴な自分の感覚に傾くと時間という概念はとても不思議だ。戻っているというよりはもともと自分の感じに従って良いという気付くための時間。ずれて
お弁当を食べている公園を眺めているとそろそろ桜が見頃のような感じ。今週末遠出してみようかと思う心と、人が多いのは嫌だなと思う心と。最終的にはあまり人が居ないところに住むのだろうな。しかし、御苑の春の顔も見ておきたい。秋の顔は凄かったな。さて
物理的なスキンシップとか肌ざわりがセロトニンを分泌させるのが脳が認識する現実感だとすると、現実感を精神領域の存在まで拡げることにより夢の中での抱擁でもどばどば出るのでは。正面からだと顔面の破壊力でどぎまぎするため後ろから。心地良き。これがで
人のことは一生分からないとすると、どれだけ長く近く過ごしても程度問題というか、ほとんど違いがない。であれば、どういう風に人を読むかに制限はない。さておき。今日はカレーを食べ、TKGを食べ平日で蓄えた冷凍ご飯を消費した。あと、本はいつも通り読む
「人は信じたいものを信じる。」では、信じたくないのに信じざるをえない存在を目の当たりにしたときはどう扱えば良いのだろう。土曜日という区切りにあまり意味も持たせない。早朝から包丁を握って玉ねぎをみじん切りしてキャベツをちぎり、ほんだしと砂糖と
悪いことは先に考えておく。想像力の効用。 読んでいる「誰か」を気にするのは、僕の言語がそういうものだから。僕の言語の上限みたいなところがある。月との距離がとても遠く感じる今宵。 ふと気づいたというか、現れた言葉。「
何かイライラしていた一日。当然このイライラは自分に向いているから色々と考えていた。というか、ここ1年くらいになるか、ほぼ寝る時以外は何かを考えている。意識を意識しているというか。 「考え」は「感情」を矯正するのかという
何故、比べられるのが嫌のだろうと職場のトイレでふと思う。低く見られる分にはまぁ良いのだろう。ただ、自他を卑下するために僕を引き合いに出されるのはとても宜しくない。引っ張られてしまう。比較で見るのはとても分かり易いが、比較が
毎日毎日楽しさが上限突破しているなと思ったら、ちょっと全盛期の感覚と近い。全盛期とは小学生時代。誰とも比べられずに世界を過ごしていた。正味なんで皆しんどそうなのだろうとは思っていた。対抗した同級生が漢字テストで勝負だーっと
上限いっぱいの言葉を人に送るのは慣れないが、たぶんここを逃すともうそんな人は存在しないような気もする。ただ、良いことなのか悪いことかというと判断がつかない。 ともあれ。 夢を見た。1つ目。昨日書いたからか、部活が舞
意味不明なことばかり書いている。ただ、なんとなくずっと考えていたことが言語化されているという感じもある。話は遅いし反応が鈍いと評されてきた義務教育時代、おそらく頭の中ではずーっとこういった違和感について想っていたのだろう。でなければ自分の中
休日の食生活は、平日に溜め込んだ冷凍ご飯を消費することが主眼であり、自炊はどうでも良い、朝はレトルトカレーとらっきょうの甘酢漬け。昨日買ったときに大量に買っている人が居て凄い食生活だなと思ったのだった。食系のブロガーかな。湯せんもせずにその
日記巡りをして目が留まるのが、僕よりも長くこの時代を過ごした人の文章だな、精神も寄ってきたのかと思ったが、よくよく考えると、時代を肉体の存在で区切らなければさらに遥かに先人の文章ばかり読んでいるという発想にいたる。この基準で言えば今の時代で
帰り路、空を見上げながら重力について考えていた。日常生活において地面は確実に「下」ではあるが、今の常識的見解の範囲でも数百キロ上昇すれば「下」は「上に」に反転する。確固としたものが一体どこに存在するのだろう。そうして、本日も僕の頭の中の世界
しばらくはここで書いていくつもり。需要は特に関係ないがなるべく平易には書いていく所存。ただ、毎回長文です。腕に筋肉痛のような違和感があると思ったら、おそらく昨日白菜の塩もみを力いっぱい絞ったからだ。なんという脆弱な筋力。筋トレした方が良いの