野菜に不自由しない日々。
朝は保温時間長すぎて食べられなくなったと思った二日目の筍ご飯。味が染みているわ、柔らかくなっているわ、で最高だった。
夜は三日目の筍もやしカイワレ大根ナムル。やっと丁度良く染みた。
あとは、鶏胸肉ともやしと新玉ねぎとエリンギのカレー粉炒めのつもりが、汁が美味しくなったから、明日のバターチキンカレーうどん用にも残した。
美味しいものと言えば。
昨日はデートだった。
朝はうちで筍ご飯とキャベツとしめじのかきたま味噌汁、きゅうりの塩昆布和えで、出かけてからの一件目は中華屋さん。
餃子とチャーハンと酢豚。
中華の神髄は、使う油だと思う。油次第で優しくなる。
細々工夫もあって嬉しい。
二件目は美術館帰りの異色な串カツ屋さん。
鰆とか真鯛の串カツがあったりするし、つけるものも、タレだけじゃなくて塩とかもともと味がついているものとかあったり。
一番美味しかったのは、サーモンを串カツにして、タルタルといくらがかけてあるやつ。
味のバランスで真似できないと思った。
おそらく懐石料理店で修業した人が作っているのだろうなって勝手に思っている。
三件目は野菜を売りにしたバーみたいなところだったのだけど、特に感想はない。
外食の美味しさって接客とか雰囲気とかのバランスが込みだから、いかに高級で良質の食材使ってようが、2件目のインパクトには勝てなかったなぁ。
4件目は呑むために行った店だけど、雰囲気が千と千尋の神隠しみたいで好きになった。梅田でゆっくり飲むならあの店一択。
料理の美味しさが何で決まるかはよく分からないところだけど、味付けだけでは済まない何かがあると思う。味覚が空腹に作用されるっていう部分もそうだし、視覚効果とか気分とかにも影響されるところからすると、人は栄養摂取とは別に食に何か摂取するものを求めているのだろうなと。例えば心地よい時間とか。
作る側からすると、発展していくかどうかは「誰が食べるか」っていう観点があるかどうかっていう気がしないでもない。
メシマズ嫁のスレをたまたま見たのだけど、夫の方も料理できる訳じゃないから文句しかないし、嫁も試行錯誤する気がないしで、疎通がないのだろうなって。
まぁこれは良いや。
さておき。
精神に美味しい話。
芸術系には興味があって、いくつかは行ったことあるのだけど、昨日の写真展はちゃんと響いた。大明神と付き合ってなかったら多分行けていないって思うと感謝感謝。
伊丹市美術館のソールライター展。
写真作品の見方なんて一切知らないけど、細部を見るのじゃなくて全体として見るのだろうなって俯瞰気味に見ると、何故だか分からないけど鳥肌が立っていた。
ところどころに本人が言ったメッセージが書いてあるのだけど、写真家の仕事は皆が見逃
した日常の美を時々示すことだっていうのがあって、体現しているなって。
モノクロも良かったけど、カラーの方がより鮮明で良かった。
傘とガラスと鏡が好きなのだろうなとか、細部はともかく。
全部は無理だけど、何点かは、何を世界から切り取ろうとしたのかっていう主観が感じられて、ぞわぞわした。写真自体は客観的な媒体だろうけど、そこに否応なく表現される主観
みたいな。
一番の幸せは何も起こらないことだっていうフレーズとか、世界の裏側まで行かなくても日常に取り上げるものがあるとか、無視されることは良いことだとか、この人の価値観も面白い。
芸術作品を書評するほどの教養がないのが残念だけど、こういう刺激は精神に栄養価が高いのは確か。
ともあれ。
今日は放火罪についてエクセルでまとめていたのだけど、やっと思考が自由になってきたなぁって思った。自由になるっていうのは価値観的な考えから離れて対象に集中できること。
まとめ。
美味しいものには付加価値がある。
それは刺激って表現されることもあるだろうし、幸せだってそうだろう。
肉体でも精神でも脳でもそれは同じ。
美味しい人間関係っていうのはおそらく純粋なものでは存在しないのだろうけど、美味しさと不味さの総計でどちらが上回るのかってことなのかなって。
最後らへんてきとーになったけど、この辺で。
おしまい。
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